佛師を断念、再び墨絵を
その後、本物の水墨画に近づくべく再挑戦したのですが、元の木阿弥で、せめて筆ペンの墨彩画と呼ばれるまでに至れないものかと模索中の折、「動禅」と言う或る佛師の半生を描いた本を読み、衝撃的な感銘を受け『これだ!』仏像を彫ることが自分に出来る陰徳なのだ、これしかあり得ないと思い立ち、最期の日まで、家族を失った多くの人たちのため、一体一体こころを込めて掘り続けよう、ご老師の弟子として、禅者として佛師を目指そうと心に誓ったのですが・・・・・・。(因みに盤珪禅師も仏像を彫っています。)
刑務所でさえ、木工作業場が在るのだから当然、当局は個別の彫刻くらいは大丈夫だろうと安直に思い込んだ私は、当局にお伺いして見ると「過去に前例がない」と一蹴され、取りつく島も無い回答にまるで奈落の底に突き落とされ、呆然自失となる始末。
もはや墨絵を描く以外に道は拓かれん!と覚悟を決めた私は、それから数日間、坐禅と断食、ムドラー(ヨガ)と調気法を 行じ乍ら、ご老師の法話を反芻し、釈尊やダルマ、その他多くの祖師方の悟境に促されるよう仏法の大意とは何かを思索し、菩薩道の大悲心に思いを馳せ、あらゆる概念を空性に還元させるべくサマディーへと自らを追い詰めて、そして捨て切りました。
これに近い感覚を十八年前、体験しました。
幾ら目を凝らして見ても物の輪郭すら判らぬ真暗闇の独房修行五十九日間(※3)。密閉された三畳余りの部屋で二十四時間の極限修行。一日一食、体感温度は40度を超えていたでしょう。幾度も意識が飛んでしまい、いま自分は何処にいるのかも分からぬ感覚と五官を感知する意識まで無くなり、時間が消える超絶の域に三昧へと移行するハッキリとした拡がりの実感があるだけの世界です。
調気法も一呼吸のサイクルで最高十八分のときもあり、建物全体と意識が繋がってしまい、各部屋で誰が何を話しているかが観えてしまう。又、50メートル先の家の時報やラジオがまるで目の前に有るかのような超感覚体験等、多くの神秘体験が通り過ぎたものでした。
そして、三十日目の頃、坐法を崩さず九時間もの三昧に没入できると同時に、その長時間が一瞬でしかなかった感覚。このとき初めて時間の概念が、ひとつ氷解したのです。
後日、突然にして遺書を書け、との狂気をも絶する宣告を受け、ーもう、死んで涅槃するしか解脱の道は残されていないのだーと覚悟を決め、教団と養父母に一通ずつ遺書を書きました。
修行中に死ねたら本望だと、胸を張っても、思わず字が霞んでしまいました。それ以降、死と対峙する命がけの修行でした。そして五十九日目にして修行の成就と告げられたのです。
成就と言われても私にはよく判らず、単に幽体離脱や前世のような幾つかのビジョンを垣間見て、宇宙に放り出されたり銀河の渦を俯瞰して光の中に没入するような様々な神秘体験の集大成。そして六神道と称される幾つかの体験があったのみです。
いまでは、それが悟りや解脱でないのはわかりますが、しかし当時は<無我>を知らずして『忘我の境地』に没入していたことは間違いありません。
どんな宗派であれ、厳しい修行を行えば、誰でも必ず神秘体験が得られて当然です。ところが<空観>と<無我>の理法に無知な教団は、通俗信仰の常套句である六道輪廻のカルマ説を教義と掲げます。故に修行で得られた神秘体験の全てを教祖のお陰だと盲信するのです。前世から受け継がれた教祖の絆と信じ、カルマの因縁に支配される信仰心。このドグマこそ、間違いの始まりなのです。
ーいう迄もなく、私自身がその愚かな見本でした。ー
そもそも禅を無視して来た教団ゆえ、釈尊が六道輪廻を真っ向から否定した史実に気付かず、まして空無の理法を灌頂伝授(イニシエーション)に掏り替えてしまう指導者の高慢さが、過った信仰心を煽ってしまい、多くの若者達の心に植え付けてしまったのです。(盤珪禅師はカルマ説を強く否定しておられます。)
今現在、禅の入口に踏み込んだ私は十八年前とは全く違う境地です。死と対峙する環境下に在る状況は同じでも、空性の理を掴んだいま、六道輪廻や前世のカルマと云う<まやかし>に囚われる実体は何も有りません。数々の神秘体験も悟達に至るプロセスの一貫と解かれば、それに執着する意味は当然、失くなります。
修行に終わりはありません。常に捨て切り空じてこそ禅の要。これからは、人知の妄念に立ち向かい、人格を養う菩薩道の階梯が無限に用意されているのです。
多分、過去の神秘体験は唯識の大円鏡智の入口ではないかと存じます。そして昨年は、生死一如と因果一如の理法と共に、平等性智の大悲心に、一瞬ではありますが感得できたのではないかと勝手に思い込む不遜な愚生であります。
※3・・・宮前さんが過去に行ったオウム真理教での修行。以後「教団」=オウム真理教、「教祖」=麻原彰晃