東京地裁一審第17回公判 証人尋問 証人:Fさん

教団にいた頃の人柄や、教団の雰囲気、修行、神秘体験、麻原の変貌について古参信者の目からどう映っていたのかがわかります。

<東京地裁一審第17回公判 証人尋問>

証人:Fさん(オウム真理教元信者)

※個人情報を伏せるため、内容に差し支えないように編集しています。 

(前略・証人の出身や経歴の確認) 

−(弁護人)麻原のそばにいて、あなたは何をしたんですか。 

最初は、岡﨑さんの部下として、新實さんと一緒に営業をしました。 

−何の営業ですか。 

麻原が(「超能力・秘密の開発法」の)次に出版した「生死を超える」という本の営業をしていました。 

−今、岡﨑の名前が出ましたんで、伺っておきますが、昭和六十一年のx月頃、岡﨑も入会していますね。 

はい。 

岡﨑さんを最初に知ったのは、出家までは存在を知りませんでした。出家と同時に存在を知りました。 

−あなたが出家した当初の岡﨑のことを伺っておきますが、どんな人物に見ましたか。 

なかなか面倒見がいいお兄さんという感じがしました。 

−人柄がいい。 

人柄はよかったです。 

−優しいとか。 

優しいです。 

−他の信徒、そういう人たちとの間はどうだったでしょうか、彼の場合。 

出家したときはわかりませんでしたけど、四、五ヶ月、私が彼の部下になってから気づいたことは、石井久子と非常に仲が悪いということはわかりました。 

−その他の人たちとの関係は、どうですか。 

飯田エリ子とは恋人関係のようになっていましたけど、まあ、ほかは仲良くやっていたと思います。 

−昭和62年の5月の28日から7月25日まで、岡﨑は独房修行に入りましたね。ご存知ですか。 

はい。 

(中略) 

−岡﨑は、その独房修行を終えて、クンダリニーヨーガを成就したということで、アングリマーラというホーリーネームをもらって、大師というふうに呼ばれていましたね。 

はい。 

−その成就の前後で、岡崎の人柄とか能力とか、そういうことを含めて、その人物に変わりはありましたか。 

押しが強くなったという意識はありますね。前々から強い人でしたけど、押しはますます強くなって、そんな感じですね。まあ、優しさは、もっともっと優しくなりましたけれど。 

−能力的な点では、どうでしょうか。 

私は、もうそのころ岡﨑の部下じゃなかったので、彼と一緒に接する時間が全くなかったもので、私はそのときXに行かされたんですけれども、岡﨑はずっと東京だったんで、それからは一緒に仕事したことがないんで、ちょっとわかりかねます。 

−麻原に対する傾倒とか信頼とか、岡﨑に変化が見えたということはありませんか。 

ちょっとそれはわからないですけれども、人の心の内面的なものなので、わかりません。 

−行動の面では、例えば、成就するまでは岡﨑は麻原のいうことに全面的には従っていなくて、場合によって逆らっていたとか、そういうことがあったようですけれども。 

そうですね。 

−成就した後には、そういうことが非常に少なくなったとか、そういうことはありましたか。 

あります。 

−具体的に、そういうことで何か証人はご存知のことがありますか。 

岡﨑さんが成就する前は、営業とか、私もやっていたんですけれども、あるときを境に、麻原が、あの人はズレているんで、書店に営業に行くのに、オウムの白い制服を作ったんですけれども、それで営業に行けというようになったんですけれども、岡﨑が営業部長で、それはできないとけんかして、それを取りやめた経緯がありましたけれど、彼が解脱して、また麻原がそういうばかなことを言い始めたときに、ああ、それはいいです、尊師の指示に従いますという感じで、営業へ行くのにもそういう白い制服になってしまったということはありました。 

(証人の修行時期など・中略) 

−その修行お内容ですが、どんな修行をしましたか。 

呼吸法と瞑想ですね。 

−呼吸法というのはもう少し具体的におっしゃっていただけませんか。 

バヤビヤ・クンバカ・プラーナヤーマというんですけど。 

−具体的には、どのようなことをするんでしょうか。 

息を吸って、止めて、吐く、基本的にはそれですけれども。 

−それは、どういう効果をもたらすんですか。 

クンダリーニを頭頂まで持って行く働きがありました。 

−実際、あなたはそれを経験したわけですか。 

ええ。 

−息を止めて、うんと我慢するわけですか。 

呼吸を、25回の出入息を繰り返して、あとは、バンダと言われるものをやりまして、バンダというのは、おなかと、のどと、肛門を引き締めて、そのまま耐えられるだけ耐えて、吐き出すということです。 

−それをずっと繰り返すわけですか。 

それは、1日6時間ですね。 

−瞑想は、どういうことをやるんですか。 

ツァンダリーと言われている瞑想をやりました。 

−具体的には、どういうことですか。 

クンダリーニを頭頂まで瞑想の力によって持ってきまして、そして頭頂から順々にクンダリーニを下ろして行くんですけれども、下ろすときに甘露というものに変わりまして、それをどんどん下ろして、体の中にぐるぐる回すというのをやりました。 

−そのクンダリーニというのは、尾てい骨のあたりにあるものなんですか。 

はい、そうです。 

(中略) 

−どういう感覚が体にあるんですか。 

(クンダリーニを)上げるときは、最初は熱いんですけれども、レベルが高くなってきますと、快感になります。もう快感としか言われないものが背中を上がってきますね。 

(中略) 

−その瞑想のときには、何か呪文とかそういうものを唱えているんですか。 

マントラは一応唱えます。 

もう、ちょっと随分昔のことなので忘れてしまいましたけれども。 

−おぼろげにも覚えていませんか。 

頭にオウムがつきましたけど、オウムなんとかなんとかと言っていましたけど。 

−自分がグルと一体になるとか、グルといることが真実であるとか。 

そういうマントラではないです。マントラ自体は、エネルギーを上げるマントラですね、観想といって、イメージでクンダリーニを上げ下げしているときに、麻原を観想して、それと合一していく瞑想はしていました。 

−麻原を観想するというのは、もう少し具体的にいうとどんなことをやるんですか。 

目の前に麻原を観想して、その麻原をまるで本物のようにイメージしながら、自分自身を切り刻んでいく。自分自身が、手に手にお供物を持つんですね。それは、灯明だったり、食べ物だったり、自分の好きなものだったり、自分の恋人だったり親だったりするんですけど、それをどんどん伏せしていって、心の中の執着を切っていくという瞑想を同時にしていました。 

−そうすることによって、自分がグルと一体化する、合一かする、そういう気持ちになっていくわけですか。 

そうです。 

−食事は一日一食でしたね。 

はい、そうです。 

−玄米一杯と、それから、根菜類を煮たもので作られますね。 

そうですね。 

−睡眠時間はどうでしたか、 

睡眠時間は、一応、4時間か5時間と決められていましたけど、修行しないで寝ているのも、別に怒られるわけではないんで、自由でした。 

−あなたの場合は、どうでしたか。 

私は、もう寝っぱなしでした。 

−独房の環境ですが、それは、明るいのですか、暗いのですか。 

真っ暗で、すごい暑かったです。一日中窓を全部ふさいで真っ暗にしていますんで、それで、一軒家の二階を使いましたんで、夏は気温が50度以上を超えたと思いますけど、そこに入っていました。 

−排泄はどうしたんでしょう。 

ポータブルトイレが中にありまして。 

−そうすると、修行期間中は、その部屋から一歩も出ないということになるんですか。 

そうです。 

−あなたはどういう体験をしましたか。クンダリーニ以外に。 

幽体離脱をして、その辺を歩き回るとか、過去世を見るとか。 

−幽体離脱というのは、自分で自分でない自分をコントロールできると、そういう状況ですか。 

そうです。 

−具体的には、どんな感じでしたか。 

抜け出して、そのまま歩いていく。 

−どこへ行くんですか。 

外に。 

−どこに。 

独房から外に行きまして、空を飛んだり、そういうことは自由にできるようになりました。 

−これは、あなたにとっては非常に神秘的な体験そのものですか。 

これは、すごい体験ですね。 

−そのほかに、どんな経験がありますか。 

あとは、体全体がどんどん軽くなるというか、エネルギーをどんどん回していますので、ずっと体が、歓喜状態というんですか、すごい気持ち良い状態になるというのと、あとは、自分の生まれる前の姿をどんどん思い出しました。 

−過去世ですか。 

そうです、信じられないかもしれませんけど。 

(F氏の過去世について具体的に語られる。自分の殺された状況や場所が後になって本に出てきて信じたことなど) 

−あなたは、それを信じたわけですか。 

信じていますね。 

−今でもそうですか。 

今でもそうです。 

−空を自分で飛んだとおっしゃいましたけれども、それは、我々のいう空ですか、それとも別世界の意味の、つまり天界とか、そういう意味の空ですか。 

いや、この世界の空です。 

−天界を見たとかということはないですか。 

天界らしきものは見ましたけど。なぜ、らしきというかというと、私の見たものと他人お見たものは同じかどうかわかりませんので、それは、確認することは理論上難しいので。 

−あなたが見た天界らしきものというのは、どんなものなんですか。 

まあ、きれいな人たちがいる、きれいな世界ということしか、その程度です。 

−それも、幽体離脱の経験の中でですか。 

そうですね。 

−グナというような、光が輝いているというようなものを見たとこはありませんか。 

あります。 

−そういうものも見るわけですね。 

それは、一応、三グナを見た段階で、オウムではラージャヨーガの成就と言っていました。 

(F氏が授けられたホーリーネームの名前など・中略) 

−あなたは、こういう独房修行でいろんな神秘的な体験をしたようですけれども、その成就する前後において、麻原に対する傾倒とか、あるいは心酔とか、帰依とか、信頼とか、どの言葉が適切かわかりませんが、そういうものの心情に変わりはありましたか。 

だいぶ変わりました。 

−どういう風に変わりましたか。 

成就する前は、やっぱり麻原のことを100%信頼しているわけじゃないんですね。それが、成就するちょっと前ですけど、成就と同時ぐらいに、100%信頼。 

−それはどうしてですか。 

どうしてなのか、私にもちょっと理由がわかりませんけれども、いつのまにか。 

−なぜそうなったかは、今、あなたにはわかりませんか。 

今は、きっと瞑想とか、ああいう修行のせいかなというふうな思いもありますけど、特に、ツァンダリーと言われるヨーガ系統は、ツァンダリーという瞑想はグルを観想しますので、あれを1日7時間ぐらいやりますので、あれをやっているうちに、なったのかもしれません。 

−いずれにせよ、結果として、麻原を100%信頼し、その麻原のいうことを全部信じるという感じですか、そうですね。昔は疑うところもたくさんあったので、麻原が何かばかなことを指示すると、やっているふりをしながら、ボイコットとかをよくやりましたけど、一応、解脱してからはまあこれも何かの修行なんだろうと肯定的にとらえて行うようになりました。 

−あなたとしては、本来、嫌なことであったとしても。 

そうです。これは私の心を成長させてくれるものなのではないだろうかと肯定的にとらえて行うようになりました。 

(中略) 

−麻原は、タントラヴァジラヤーナということを解くようになりましたね。 

はい。 

−その内容を、あなたの理解するところにおいて、おっしゃっていただけますか。 

タントラヴァジラヤーナは、グルの命令だとするならば、この世の法律等、いろんな情とか、しがらみを超えて、命令をすべて行う、それが最高の修行であると教えられました。 

−そういう修行を行える、そういうのは、オウム真理教の信徒すべてがそういう教えを実行するんですか。 

違います。麻原いわく、選ばれた弟子以外はこの教えは行えないと、よく言っていました。 

−あなたは、タントラヴァジラヤーナの教えを実践する一人としてえらばれたんですか。 

私が選ばれたというか、そうですね。 

−岡﨑も選ばれたんですか。 

そうです。 

−特別な人間だけがこの修行をできるんだというふうに言われたこと、そのことは、その人にとって喜びでしょうか。 

最高の喜びですね。よく麻原が言っていたのは、解脱は根性では普通の人間では無理であると言っていましたけど、タントラヴァジラヤーナの修行者だけはいけると、常々言っていました。 

−それを実践できる自分というのは、選ばれた特別な人間という意識をもとに、行動するんでしょうか。 

そうですね。他の弟子とは違うという意識は、相当あったと思います。 

−そのような人たちは、この世の中で正しいのはグルのいうことだけだと、そのように信じているんでしょうか。 

ええ、そういうふうに信じています。 

−この教えの中で、悪行を積むもの、オウムに対抗するとか、オウムに反対的な立場をとるもの、これは悪業であると。 

まあ、そういうふうに麻原が言い始めたのはちょっと後ですけれども、もともとタントラヴァジラヤーナは、グルのいうことだったら人殺しもいとわないという教えだったんで、そういうふうに言われたときは、不信感は別に出なかったですね。 

−そういうオウムに対抗的な立場をとる人間は、グルが命ずるならば、殺害しても、それは許されるんだということですか。 

心は、そういうふうになっていきましたね。 

許されるのではなくて、グルがやれというんだから何も考えずにやりましょうという集団になっていきました、一部の者だけ。 

−それは、むしろ、グルの教えを実践するということが、修行そのものですね。 

そうです。 

−そうすると、殺害することも、その修行者にとっては、功徳を積むとか、善行であるとか、そういう積極的な評価をするんですか。 

そうです。そういう積極的な評価です。グルの教えじゃなくて、グルの意思を実践するということはくどくにつながり、自己の修行につながると考えていました。というか、教えられていましたんで。 

−そのあたり、非常に分かりにくいので、もう少しうかがいたいのですが、先ほどあなたは輪廻転生ということを言われましたね。 

はい。 

−この殺害してもむしろ善業になるんだというのは、この輪廻転生という考え方とどこかつながっていますか。 

つながっています。 

まあ、グルに、グルというのかな、真理にに、麻原のいうことを、師に逆らうということは、輪廻転生においてすごい悪業積むことですから、だからここで命を絶って、輪廻転生、悪いところにいかないようにしてやるというのは、麻原の言っていることです。 

−修行者は信じていたわけですね。 

まあ、私たちも、見えない世界をたくさん知っていると思っていましたので、麻原は。ですから、私たちはそうは思えないけど、きっと麻原がいうんだからうそじゃないだろうと、本当かもしれないという思いで動いていました。 

−そういうことだと、やっぱり麻原がいうことでもいやなことはあるでしょう。 

たくさんありました。 

−その場面ではどういうふうに自分を納得させるというか、いやな行動へ積極的に行動を移すというふうにするんですか。 

ですから、嫌だと思っているこの自分は、まだ修行が未熟で、いやだと思っている心自体が未熟な心の表れだから、これを乗り越えるために、まあ我慢して実践しようという考えでおりました。 

−マハームドラーということがありますね。 

はい。 

−これはどういう意味でしょうか。 

マハームドラーというのは、一応クンダリーニヨーガの上の成就の段階で、すべての自己のエゴというか、自分自身をすべて悟った段階をマハームドラーと言いました。 

−今の自分の嫌なこと、極端な場合で言いますと殺害するというようなこと、これをも実践するということは、マハームドラーの成就というようなことになりますか。 

いえ、マハームドラーの成就ではなくて、今私がしゃべったことは、一応はマハームドラーのもう一つの意味んんですけども、マハームドラーのもう一つの意味がありまして、要するに、自分の引っかかっている、いやだと思っている観念を乗り越えさせる修行をマハームドラーと称しています。だから、グルが弟子にマハームドラーをかけるといった場合は、その弟子が一番嫌なことを実践させて、観念を崩壊させるという意味があります。ですから、殺人が普通いやなんですけども、殺人が嫌だと思っている人にはさせるということもありました。 

−そのマハームドラーを実践することによって、さらに一段高い修行を達成することになるんですか。 

要するに、自己の観念を崩壊させるということがメーンですから。 

−自分のエゴを崩壊させる、放棄させるんですか。 

いや、崩壊です。 

−自我をなくすということは、結局のところ、もうグルのいうことに盲目的に従うということになりますか。 

いや、もともとヨーガの教えには、真我というものがあると言われていまして、これが根本的な自分と言われておりまして、長年輪廻転生を重ねた結果、その真我の終わりにからを被ってしまったというのがヨーガの教えです。それからというのは、自我とか観念であるという意味で、それを崩壊させるためにいろんな修行法がある、最終的には心の問題になっていますので、その観念を崩壊させるために、グルがいろんな仕掛けを行なって解脱させるんだということを教わってきました。ですから、麻原がいうこと、いやなことを積極的にやるならば、修行をとことんやれると教えられました。 

−麻原という人間の人物像についてうかがいたいんですけど、かなりにカリスマ性を持った人物でありますね。 

はい。 

−あなたは、どういうところで彼のカリスマを感じましたか。 

やっぱり修行場、私たちが例えば見ている光とかエネルギーとかは、見た瞬間にこの光はこういう意味合いがあるんだよという感じで教えてくれるんですね。次の修行をするとこういう光が見えて、次の修行をするとこういう心の状態になっていくというのは全部教えてくれるんですね。その通りに修行は進めていくんですけどね。そういうところで自分よりはるかにはるかに修行は進んで、彼は自称解脱しているといっていましたので、きっと解脱しているんだろうと思うところは、すごいカリスマ性です。 

−読心術といいますか、人の心を読んじゃうとか、そういうところがありますか。 

そういうヨーガによって特別な超能力というものはある程度ついておりました。私が彼を知り合った86年当時はありました。 

−あなた自身、彼の超能力を実際に経験したことがあるんですか。 

あります。 

−どういう場面ですか。 

私が一時オウムを辞めようと思って、心の中で思っていただけなんですけれども、1日か2日ぐらい考えていたときに電話がありまして、おまえ、オウムを辞めようと思っているんだろうと、だれにも話していないのですけれども、麻原にはしっかりわかっていまして諭されまして、それから二日か三日はよかったんですけれども、それから、また辞めようかと思ったときに、そのときはちょうど廊下を歩いていいたんですけれども、廊下いはピンク電話が置いてあったんですけれども、ピンク電話、普通は電話はかかってくることはないんですけれども、ちょうど私がピンク電話の前にいたときに電話がかかってきました。まあ、私がピンク電話出たんですけれども、そしたら麻原が出て、おまえ、今辞めようと思っているだろうと、ずっと思っているんだと、また説教されまして、わざわざ私が通るところにいきなり電話をかけてくること自体がすごいと思いました 

そういうところで、麻原は超能力があるんだなと思っていました。 

−その当時の麻原は、そういう超能力はあったと、今でもあなたは思っておりますか。 

思っております。ヨーガの修行をすると、だれでもつく能力なんで、これは別に麻原だけ特別というわけじゃないので。 

−トリックじゃないんですか、それは。 

いや、トリックじゃないのです。 

−麻原がいろんなところに情報網を張っていて。 

あのおろは情報網晴れるほど人間がいませんでした。全部で20名ぐらいしかいないときなんで、麻原のいうことを100%聞く人間と言ったら石井久子ぐらいのもので、あとはそんないうことをきかない人間ばかりそろってましたんで。 

−そういう情報網使って情報を仕入れていて、あなたにそういうトリックをかけているわけじゃないんですね。 

第一私は辞めたいなど一言もだれにも話してませんし。 

−そういう麻原の超能力というのは、あなたは今でもその当時麻原が持っていたと思っているようですが、ほかの人々もそういう同種の体験をしておるんですか。 

同種の体験もしてますし、そういう能力がヨーガの修行で少しずつついてきました。オウム神仙の会当時ですけれども。ですから、ああれは別い不思議なことでもなんでもなかったです。 

−やはり、麻原の超能力を人々はみんな信じていたということですか。 

そうです。 

−麻原と弟子の関係をちょっとうかがっておきたいのですが、弟子同士はどういうつながりとか持っておりましたか。 

どういうつながりというと、どういうこと。 

−ちょっと具体的に質問しにくいのですが、仲間同士で。 

仲間同士が仲がよかったか悪かったですか。 

−そういうことも含めて。 

全体的にオウム神仙の会当時は、仲は悪い人が多かったですね。 

−余りそうすると、仲間同士で話し合ったり一緒に共同作業を協力しあってやろうと、そういう話にならないと。 

一応は共同して作業はしますし、みんなで仲良くはしてますけれども仲良い人は仲いいんですけど、悪い人は悪い。どこの組織でもみんな同じですけれども。 

−教義をお互いに自分の理解したところを話し合って、さらに自分たちでその教え、教義を深めていこうとか理解を深めていこうとか、そういうことはやらなかったのですか。 

昔は、オウム神仙の会のときはよくそれはやっていましたけど。 

−あなたが成就したその当時はどうでしょうか。 

成就した当時は、変わっていきましたね、麻原のいうことだけをしっかり愛永というふうに変わってきました。 

−それは、61年からずうっとその後つづきましたか 

そうです、つづきました。 

−非常にわかりにくい質問かrもしれませんが、オウムの仲での人と人との結びつきなんですけれども、弟子同士の無水付きというものと麻原とでしという間の薄日付きがありますね。 

はい。 

−その結びつきの強弱を言えば、どちらがどう強いですか。 

やっぱり麻原と石井が一番強いですよね。石井は我々が行なったことを捻じ曲げてうその報告をしておりましたんで、岡﨑とかよく怒ってましたね。岡﨑とあとはもう辞めましたけども、Hという人がいるんですね、よく彼とか。 

−弟子と麻原との関係ですが、これは横の、横というか弟子のことよりも、自分と麻原の関係、これを大事にする、そういう関係ですか。 

そうです。 

−一対一の関係になりますね。もともと出家してきた理由というのが自分の自己の修行のことだったんで、ですから、もともと組織として動こうとしている団体ではなかったんですえ。ですから、麻原と自分との一対一の関係を強化してきてみんな入ってきましたので。 

−そうすると、弟子と弟子との間の関係はばらばらになる。 

そこまでばらばらじゃないんですけど、一応一緒に集った兄弟弟子ですから。 

−そういうオウムの中で行われていた教義だとそれから麻原との関係とかいうのを踏まえて、仮定の質問をして恐縮なんですけども、田口事件というものがありましたね。 

ええ、新聞で知りました。 

−ようするに、岡﨑他四名のものが田口さんという肩をロープで閉めて殺したという、こういう事件なんですけども、もしもあなたがその中にいたとしたら、あなたはどうしたでしょうか。 

まあ、やったと思います。あそこでやりませんと絶対言えなかったと思いますね。 

−それもマハームドラーであると。 

ええ、そういうふうにとったと思います。 

−坂本事件はご存知ですね。 

はい。 

−こういうケースがあなたに命じられたとしても同じでしょうか。 

同じです。 

−ところで、あなたは平成X年、X月X日にオウムを脱会、脱走しましたね。 

はい。 

−なぜですか。 

麻原にもうついていけなくなりました。 

突如ではないのです。一年くらいかけてずうっと考えてきました。 

一年というか半年ぐらいかかって答えを出した結果です。 

−その半年ぐらい前から、麻原への帰依というんですか、信頼というものは薄れてきたということですか。 

そうです。 

−理由はどういうことからですか。 

まあ、一連の事件の発端となるようなことをやり始めて、絶対成功するわけがないことを村井と遠藤と3人でどんどんやっていくのをとめようとしたんですけど。 

−一連の事件というのは、どういうことでしょうか。 

今回のサリン事件のことです。 

−とめようとした。 

ええ、反対したのですけれども、ほかの井上とか中村昇とかがイエスマンで、みんなで彼らがやることを、素晴らしい、素晴らしいと言いながら、だれもとめなかったんですね。で、私とか、私も最初参加しておりましたけども、途中で失敗して成功するわけがない作戦だったんで、一生懸命止め始めたんですけど。 

−それはどういう作戦になりますか。 

サリンを作ったり生物兵器を作ったり、いろいろやっていたんですけども。ですから、それでとめたんですけど、しつこくとめると止め方が、まず村井と遠藤を教団の中枢部から外せということをいったんですね。そうしないと、もうオウムがこのままいったら消滅するのが目に見えて明らかなんで、そういうことを言いましたら、ポアすると言われまして、じゃあ彼らを辞めさせないんなら、私を辞めさせてくれと話をしましたら、もうあなたにはついていけないんで辞めさせてくれと言いましたら、生きてここから返すわけにはいかないと言いまして、それでしょうがなくなっていてもいつ殺されるかわからないんで、まあ脱走しました。 

−あなたは、平成X年のX月頃ですか、ロシアへいってましたね。 

はい、ヘリの免許をとるために行きました。 

−そのヘリの免許は何のためにとるんですか。 

サリン散布のために、最初のヘリコプターのときは、麻原の運搬と聞いていたんですけども、(中略)サリンをまくと、それででかいヘリコプターの免許を取れといわれましたから、私とBが非常に嫌がったんですけども、無理やりロシアに生かされまして、で、帰ってきて私はそのまま辞めました。 

(中略) 

−その殺害されるという恐怖、これは現実に起きたものとしてせまってきていたんですか。 

実際、彼らはやりますので。 

−具体的に、オウムからの追っ手があなたの身辺に現れたということもあったんですか。 

私の目には見えませんでしたけれども。 

−そういうものを感じるわけですね。 

そうです。 

−そのオウムからの恐怖がなくなったのはいつでしょうか。 

強制捜査が始まって、主要なメンバーが次々と逮捕されましたので、これで私も助かったなと思いました。 

−そうすると、94年、あるいは93年の後半かもしれませんけども、その頃の麻原とそれ以前の麻原とではあなたの心の中で人物像は全く違いますか。 

そうですね、今考えると超能力を持ってカリスマ性を発揮できたのは、選挙前、90年前ですか、で、90年あとは、シャクティーパットのやりすぎで体の調子が悪いんだろうと私は思ってましたね。93年以降になると、完全に頭が狂っているというのがわかりました。それでとめようと思ったんですけれども、ばかな側近たちのおかげで、とまらなかったんで。 

−そのばかな側近の筆頭は村井であると。 

村井です。村井、遠藤、新見、井上、中村昇、このあたりです。 

−そういう取り巻きのようなんですか、それは。 

そうです。取り巻きで。 

−ようするに、麻原の太鼓持ちみたいなものをやっていると。 

そうです。 

−そういうものがますますおかしくしていったと、こういう感じですか。 

そうです。 

−そういう状態で、あなたは麻原への帰依が切れたということですか。 

そうです。 

(中略) 

−(検事)(幽体離脱について)それはあれですか、今から考えれば、別に麻原に教えてもらわなくたってできたことじゃないかというふうには今は思っているんですか。 

今は思ってます。今は本当にヨーガの経典に書いてある程度のことなんですよ。 

−(弁護士)あなたは、坂本事件が起こったときには、それがオウムのしわざというようなことを感じませんでしたか。 

感じませんでした。 

−全くオウムがやったんじゃないと思ってましたか。 

ええ、もしあれをやってしまったのがオウムだとしたら、ばかなだれかだと思いました。あれをやることによって、オウムには何一つメリットがないと思いますね。 

−そのころは、岡﨑さんも全く一緒にはいなかったんでしたね、その事件のころには。 

そうです。岡﨑は私のように、位は同じクンダリニーヨーガですけれども、岡﨑さんのほうが麻原さんといる時間が長いですし、仕事面では上司なので、私はそのとき選挙やっていましたので、自分の積極で選挙活動をするのがせいいっぱいで、他人のことまで、ましてや坂本弁護士は私はやっていないと思っていました。 

(中略) 

−何で(岡﨑が)脱走したかというのは。 

その理由がわからなかったです。岡﨑さんほどの人が、オウムでは本当にトップクラスですから。それで一応オウムにいるのは解脱とか悟りを目指しているんであって、オウムを辞めるということは解脱とか悟りをやめるということになりますね。で、すべてを捨てて、社会的なものを捨ててオウムにきていましたので、彼はもう30ぐらいだったものですから、結構やり直しをするのもきついと思うんで、何で辞めたのか、その原因は。 

−何かそれについて、教団で中の何で岡﨑辞めたんだというような話を聞いたことないですか。 

ないです。 

−選挙を前やっていたということをおっしゃいましたけども、選挙に出ることは、あなたとしてはどんなふうに思っていましたか。いわゆるばかばかしいことをやり始めたという家事ではないですね、まだ。 

最初は麻原が出たいというんですから、勝てる見込みがあるんだろうと、私は麻原の予知能力というのは信じてやりました、そのとき。選挙やるときに票決をとったみたいなんですけれども、私はそのときにXにいまして賛成も反対もできなかったんですね。急に呼び戻されて選挙手伝えと言われました。手伝えと言われたからには、せいいっぱいやったんですけども。 

−そのときは当選するだろうというふうに思っていたわけですか。 

麻原が当選するといっている以上、きっと当選するだろうと思いましたけれども、サンデー毎日とかの一連の事件で、もうダメなのは肌で感じますよね。 

−そうすると、その辺からちょっと麻原の予知能力も疑問が生じたというようなところですかね。 

そのときは、シャクティーパットやったあとだったんで、調子が悪いんだろうと、私たち弟子の間では大目めに見てるというか、麻原の予言が外れるのは多めに見ていたきらいがあります。 

(中略) 

−(裁判官)(F氏が脱走したときの)その心理的プロセスというか。 

私も教団のトップクラスにいたんですけども、いっていることが、やろうとしていることが日本を乗っ取りたいと、私は日本の王様になりたいと言い始めたんですけど、どう考えてもこの日本社会で武力で王様になるのはちょっと無理だと思ったんですけども、会議で何回かロシアから日本に帰ってきて出たんですけれども、それはそれは稚拙な作戦をたてるんですね。それをみんなが素晴らしい、素晴らしいとおだてるんですね。このままいったら本当にヘリコプターでサリンをまかなければならないと、ヘリコプターでサリンをまいた場合、例えば東京都内にサリンをまいちゃうと、ミグ17は4トンぐらい詰めますので、一万人とか二万人とか死んじゃいますよね、そのあと自衛隊に皆殺しにされますよね。もう目に見えていることわかっていましたし、何の罪もない人を一万人も二万人も殺したくはなかったということです。 

−ただ最終解脱をしている麻原が、どう説明していたかというのはわかりませんけれども、仮にそれがポアだとすれば、それは輪廻転生の中では救済されるわけですよね。 

私はそのときはそうは思っておりませんでした。そのときの麻原は、例えば私の心を読むこともできなくなっていましたので、例えば私が辞めたいといったときに、おまえが辞めたいのは性欲だと、結婚させてやるから残れと言われたんです。私が本当に辞めたかったのは、こういうことをやめてほしかったんですよね。ああ、こいつは、もう私の心さえ読むことができないんだと、このままついていってももう先が見えたなと。 

−そうすると、もう解脱者だということはとても信じられなくなったと。 

もうこの人は、解脱というのは完璧じゃない以上、完璧じゃない以上というのは、ヨーガの経典での解脱は現世、この俗世に触れると落ちると言われています。麻原の姿を見てて、もう落ちた人としか私には見えませんでしたね。 

−丹沢セミナーの当時は、教義のようなものはなかったというふうにさっきおっしゃいましたけども。 

詳しい系統だった教義はなかったんですけども、ヨーガ的なちょっとした話はありました。 

−教義みたいなものを説きはじめたのはいつごろからですか。 

12月ぐらいですか、しっかりした教義を説き始めたのは。私はさっきの話題になっていたのは6月の丹沢のセミナーなんですけれども、8月、9月の丹沢のセミナーから、ほんの少し仏教的な四無量心だとか、そういう話を説き始めてはいますけども、本格的になってきたのは12月ぐらいからです。 

−タントラヴァジラヤーナの教義を説き始めたのはいつごろですか。 

タントラヴァジラヤーナはだいぶくだって、選挙始まるちょっとぐらい前でしょうか。 

−こういうことを言い出したときに、何かおかしいなとか、そういうことは思いませんでしたか。 

疑念は少しは持っていました。なぜかというと、今までの教義ががらっと変わっちゃいますので、何をいっているんだろうという意識はありましたけど、でも今までの経験した神秘的な体験がありまして、我々だけに説いていたんで、まあ、また特別な方法があるんだろうと考え直しました。 

−そうすると、神秘的な体験をしたということが、やはり麻原の力というか、そういうのを裏付けて示させる方向に働いたと。 

私はX年ほどオウムに在籍していたんですけれども、やっぱり93年、4年は本当に細菌兵器を作ってたりというのをやらされたんですけど、それを支えていたのはあの神秘体験は全て麻原の力によって体験できたということです。 

(中略) 

−(裁判官)その平成5、6年当時は。 

はい。麻原が本当に朝起きて、思いつきでおかしなことを言うのですよ。そしたら側近たちが、じゃあやりましょうといった感じで動くんですけども、それが余りにひどくて、あとはちょっとおかしいというようなことをいったら、すぐに密告されまして、私がロシアから帰ってきたら、上にあげる箱、箱というのは麻原にあげる箱というものができていまして、みんなで密告をしなさいと奨励しておりました。教団で。私とか林泰男とか、平田、今逃げている信とかは、オウムがロシアから武器だけじゃなくて、密告制度まで輸入したんだと、もう終わりだねという話をしたんですよね。だから私たちが求めていた、理想社会のためだったら私たち命を捨てようと考えていたんですが、これが、こいつらが本当に日本の天下をとったら、ソビエトなんか問題ならんほどの密告社会が出来上がって、私たちの理想社会ではないんですよね。武力でやったってついてくるわけないんですよ。もう完全に狂っているとしか私たちには判断できなくなりました。 

以上。

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