平成11年手記 当時の記者にあてたもの。
※場合によってイニシャルにしています。
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○第68号
なによりも問題なのは、悪女・石井久子が坂本事件の殺害幇助罪(資金調達)や遺体遺棄謀議と証拠隠滅罪で逮捕されないことです。要するに石井久子が逮捕されないのに、どうしてA(※宮前氏の先妻)(墨塗り)さんが罪を被ることがあろうか。
そんな不条理なことはありえない、と言うことです。100%、(墨塗り)さんは罪を被ることはないのです。もっともすでに時効ですし、もし逮捕されるとすれば、石井久子だけです。
元に戻って、だからといって実行犯である私が6年もの間、宇部市で普通に行動(生活)していたことは赦されません。十二分に反省しなければいけません。
そして、12月の上祐出所の件及びオウムの行方についてですが、以前、面会時にその旨について手記を書いてもらうだろう、との発言がありましたが、<上祐の素顔>と<オウム信徒の行方と今後の活動>と<長老部6人衆の素顔>と<坂本事件前後・上祐の動向>と<上祐と麻原との確執>などなど、調書や添付資料も含め、当時の体験なども盛り込んで手記を書いてみたいのですが如何でしょう。
○第69号
上祐の出所によってオウムの行方・上祐自身の行動や新たな活動長老部との軋轢やイニシアチブの動向も大切な注目点といえます。
最後に、オウムの中心となるだろう上祐の素顔と上祐と麻原の確執。
あの坂本事件前後の上祐の動向から推測できる今後の活動。
上祐のリーダーシップ力やカリスマ性、そしてオウムの変貌が果たして起こり得るのか否か、又は、分裂するのか等、様々な意見や推論憶測も多分に演べられるべきだと思うのです。(石井や知子の出所後のことは別にして)
よって、項目は、どのように分けても治ると思います。ただ、勝手な見解ばかり述べて恐縮ですが、ある程度、目標を設定しないと気分が乗り切れない気質なので、その辺の処は宜しく。
昨日の接見で、オウムが将来、同和問題や在日外国人問題と同様の差別・迫害偏見観といった人権を無視するような禍根を残すことは常に避けたい、触れてはいけない、と思い世相がその流れに向かっているのを私は危惧していることを多少述べました。
しかしこれは、現時点で声を大にして発言できる問題ではないことも解ります。もし誤解されるとオウム存置派と間違えられますので。
ただ、私が訴えたいのは、まずオウムを徹底的に解散させること。そして麻原の子供を国が保護もしくは管理しないと、再びオウムが復活するのだ、と警句したいのです。
これは10年後、20年後の近い将来のことであり、貴殿の2子の将来にも深く影響するものだと、危惧するから、訴えるのです。(オウムに入信したほとんどのものは私とは違った豊かに育った良い子ばかりだったので、怖いのですよ)
○第70号
先日発信した69号の手紙の内容は多少、拙速な感じも否めません。港然としたイメージだけに、それなりの方向を示されないと不安な面もあったのでしょう。焦った末の要望だとお考え下さい。
しかし今は違います。ここ数日間、当時の自分に戻っていたところ……。
その頃の体験・手帳などの資料・調書(他被告も含む)・オウム関連の本・多くの記事(スクラップ)・そして多くの記憶等で援用した結果、オウムの体質と上祐の特性と気質からくる特異(宗教的)な展開に収斂され、思わぬ方向へと導かれるはずだと、ビジョンに現れました。
帰一するところ、やはり上祐は、オウムを復活させる。悪種の萌芽となる。麻原の子供を床の間の餅に見立てて、傀儡師となる道を選ぶであろう、と。
すでに69号のなかで10項目ほど掲げています。(※この項目は残っていない。)2,3,4,6は間違いありません。問題は順位と変遷の時期でしょう。
上祐の素顔や秘密のエピソードそして坂本事件時の動向や95年オウム騒動中の活動等々、マスコミや考案そして在家信徒でも思いつかない上祐の腹の内が見えてきました。期待して下さい。
○第71号
先週はO氏の件で田口事件の記憶喚起を含め、内省を深めていた所為もあり、こちらの方が多少、おろそかになりました。
渡辺象二郎の上祐インタビューの本2冊や、武田(※頼政)さんから頂いた筆写文等、考えれば考えるほど複雑な結果を招くばかりです。
草稿はすでにたくさん用意してあるのに、これだ!といったオウムの行方が掴めません。しかし、私は、予言者ではありませんので、過去の例や今の状況を正確に把握して結論を出して行くつもりです。
今週からできれば毎日発信するつもりです。以下、とりあえず憶測ばかりですがアトランダムに書きました。
<麻原に帰依する限りヴァジラヤーナは無くならない>
オウムの体質が依然変化しないことが証明された。
10月17日、オウム長老部からの手紙(松本サリン被告人宛)の回答で明らかにされたからです。
多くの被害者、ご遺族に対して「償うというより修行すべきだ」とか、「夢のなかの子供の死のようなものである」と言ったものだった。
あるまじき不遜の言動からして独善的、破壊しそうは未だ機能し続けていることが分かり愕然となりました。
当時、ヴァジラヤーナの使命を与えられずに助かった彼らでさえ、未だに麻原を絶対視、反省する意思も何も感じられないことに憤りを感じます。
何でも、「グルの意思です」と端的な回答で、オウム事件をむしろ、賞賛している態度が赦せません。
古参・新参(出家・在家)にかかわらず、未だにヴァジラヤーナの教えを、崇高なものと盲信する彼らの精神構造は、もはや狂気としかいえない。
<封印に騙されてはいけない>
麻原がヴァジラヤーナは<封印>しました。と言及したが、裏を返せば温存しているだけだ。
<封印>は排除・消滅とは違う。いつでも<開帳>し発動できる状態を維持している、という証拠だ。信徒(弟子達)全員がヴァジラヤーナを全面的に否定し、その発動源である麻原を非難・追及しなければオウムの体質は何ら変わらない。
弟子達は今だに現実を直視できずにいる。現時点をひとつの修行だと思い込んでいる。
オウムは麻原絶対のカルト教団であり、大乗思想とはいえない。他を利する修行でなく、麻原ひとりを利するものだった。魂の救済とはほど遠い、何の価値もない修行だったことに1日も早く気づかなければいけない。弟子達の修行の目標が麻原との精神融合(合一)である限り、オウムの体質は依然変わることがないだろう。
弟子達の胸にプルシャがある限り、麻原への信仰は揺るがない。彼らは未だ社会性が身に付いていない純粋な修行者なんです。
どうか一人一人を扶けてほしい。
いたずらに敵対心を露わにせずもっと優しく静かに諭して欲しい。人間の本質を語ってやって下さい。
<上祐出所後の動向>
まずメディアを最大限に活用し、大々的な記者会見をおこなうだろう。表面は幹部(当たり障りのない)の誰かを代表に見立て、謝罪表明と意味不明な補償プランを発表するでしょう。
その目的は、オウム信徒の救済である。決して社会に受け入れられるための社会復帰とは違う。
彼が被害者やご遺族の心痛を思いやり、思いを馳せることなどあり得ない。謝罪・補償の本質はオウム空間の維持であり組織防衛的なものだ。そしてオウム法案への牽制と世の非難をかわすためだ。
多くのダミー会社を設立して教団の資金を分配し隠匿していきたシステムの延命を巧みに企てるためのパフォーマンスに過ぎないだろう。彼も他の幹部たちも、ご遺族や被害者への謝罪・補償が当然であることを全く分かっていない。だから今まで無視し続けて来たのだ。
謝罪・補償表明と引き替えに上祐はこう訴えるだろう。
「オウムの信徒たちを見守って下さい。罪のない、多くの弟子達にどうか優しく接して下さい。お願いします。」と。
謝罪・補償さえ済めばもう終りだ、と考えているだろう。
被害者、ご遺族の心の傷跡は一生消えないことを知る由もない。
真の苦しみとは修行ではなく、他人へ与えた苦しみの深さを知ることであり、罪の深さから逃れることなく退治し内省することではないだろうか。彼らにはオウムに入信する前の純粋な信仰心に戻っていただきたい。そう心から祈るばかりです。
<オウム長老部は有名無実>
真の最高意思決定機関は上祐、知子、石井と、そして長女の4人である。
上祐は2年前、出家信徒と養子縁組をし教団との意思伝達を確保した。石井は逮捕直前に長老部のKを石井籍に入籍させ、オウム長老部を見守りつつ、我が子(麻原の子)を教団内で育てていた。多数の殺害事件に関与したことを黙殺したまま未だに起訴されず、ほくそ笑んでいる。
知子も真島事件・坂本さん一家事件に関与していなから未だにシラを切り通したままだ。接見解除と同時に再びマスコミに媚を売り、オウム長老部を隠れ蓑にして実権を握っている。
外では、上祐の用紙、K(長老)、知子が麻原の長女と暗渠に繋がっている。今、オウム最高位の正大師の3人と長女がオウムの行方を占っている。
今日は憶測分ばかりで恐縮です。
○第72号
前回の続きです。以下宜しく。
<オウム長老部の素顔>
オウム長老部の5人(Mさん、野田(※成人)君、K氏、二ノ宮君、SS氏)は麻原が逮捕された頃に突如、任命され正悟師に就いた。残る一人、SM氏は無罪判決を得た功徳で任命されたものだった。
当時、正悟師以上の幹部たちが逮捕、基礎され、組織の中枢を担うべく愛弟子たちが根こそぎさらわれたため、窮地に追い込まれていた。
緊急措置として長老部が設立された。
サマナのなかでリーダー格を抜擢するとすれば彼ら以外にもう残っていなかった、といえる。
ただし問題があった。
オウムでは正悟師(マハームドラーの成就)に就くと、その都度、祝賀式典を行なっていた。それほど少ない成就の座を彼らに与えたのだ。
しかし覚醒の体験もなく、他のサマナはもとより、当人も慌てるばかりで、自他共に認識不足でしかない。
もちろん、成就に必要な内面的覚醒がないため他のサマナに成就体験が語れない。よってサマナからの信頼が薄くなることは確かといえよう。
しかし、グルの一声がすべてのオウムだけに信じる以外にない。(因みに私は91年6月、新實(※智光)君からマハームドラー〔正悟師〕の内面的覚醒及び諸現象を聴聞したことがある)
<6人の特性と気質>
・Mさんは、昭和63年に出家し翻訳班に配属。平成元年1月、私、上祐、石井ら7名と一緒にインドに行き通訳として活躍。同年の12月のトンズラ旅行で麻原と一緒に同行。インドにてホーリーネームを授かる。そのとき、本人はキョトンとしてた。根っからのお嬢様なのか能天気なのか、いつも緊張感がなくおっとりしていた。たとえどんなことが起こっても決して慌てず愕かない、というよりも気付かないタイプの女性。(いつも意識が別の空間にある人)明るく純粋で、少女のまま大人になった人。
麻原が彼女を代表代行に任命したのも無理はない。どんな新r夏な質問にも的外れな明るい回答しか吐かないだろうと踏んだに違いない。
いわゆるイメージ戦略のひとつだった。どこから見ても「平和な人」は未だにヴァジラヤーナの恐ろしさを知らない。
彼女はもちろん大師会議にも幹部会議にも一度も呼ばれたことがない。
・野田君は昭和62年秋頃に出家の決意をした。理由は週初臆しても先が見えている。オウムなら将来、幹部になれるかもしれない。という極めて不純な動機だった。
当時、和田平セミナーで50Lのガージャカラニー(塩水を飲んで吐く)を続け、持病の喘息を完治したのがキッカケとなった。
上祐の下でワークを積んだ彼は、事務能力には長けているが対人能力では劣っていた。プライドが強いので感情をコントロールするのが下手だった。しかし情熱的で一途なところもある。実直で優秀な秘書タイプの弟子だといえる。彼も幹部会議や大師会議に出席したことがない。
・K氏
上祐氏と同時期に出家した子三振と。出家当初から音楽班のリーダーとして活躍。95年まで続け他のワークを経験したことがない。
当初から女性大師との問題が多く、恋多きミュージシャンの人。
否定観念が強く麻原と議論を交わしたことがありでしならぬ言動を吐きグルの逆鱗に触れることもあった。話好きで独特な持論を滔 々と喋り出す異色の法友であり、理論派で頭の良い人だった。
しかし幹部会議に呼ばれたことがない。(ホーリーネームはグルからではなく『村井さんに授けられた』と文句を言っていた)
・二ノ宮耕一君
昭和61年秋頃に出家した最古参の弟子。
グルの意思、グルの命令以外は何もしない人。法友の言葉(忠告)を受け付けず虫する無骨・強情なタイプ思い込みが強く柔軟性に欠ける。特技はマンガ書きと料理。当初デザイン班に配属されたが仕事にならず、福岡支部へ移転。在家信徒から不評を買い問題となり仙台支部へ移る。その後、横浜支部長として勤める。早くからホーリーネームを与えられたが大師会議に呼ばれたことが一度もない。
「グルは私のすべてです」と胸を張って言い切れる新實君のような献身(盲従)派。在家信徒の扱いには慣れているがサマナとの軋轢が多く教団運営の指導力はない。
チームワークに参加できないため会議に参加できず麻原の側近として重用されることは一度もなかった。
・SM氏
上祐氏と同時期に出家した古参幹部の一人。
上祐氏を尊敬する仲の良い法友。出家当初から機関紙の編集長として活躍
しかし、知子から「性欲のカルマさえ克服できれば問題ないのに」(※このかぎかっこ部分に赤線と『?』の文字が入っている)と皮肉られた弟子の一人。
ある大師会議で麻原が「ヴァジラヤーナを選択しなければならなくなったときどうするか?」とひとりひとり訊かれたことがあった。そのとき、唯一人断ったのがSM氏であった。当時、100%グルに消えできない心のしこりがあったのだろう。
いつも大師・幹部会議に出席しており、麻原の表裏を知り尽くしていた弟子だった。胸の裡が即、顔色に出る好き嫌いの強いプライドの高い人だった。綺語、揶揄も多く陰険に見られた。しかし麻原は「こんな暗いタイプが物書きに向いているんだよな」と言って、石井の前で褒めていた。
知子には頭が上がらない弟子の一人であった。
・SS氏
弟のSMさんの実兄だが出家は数ヶ月遅れた。社会経験も豊富で該博な人。編集部や教義の翻訳そして印刷関係全般のワークを自在に熟す人。白黒思考が強い。時として早川(※紀代秀)さん以上に怒声を揚げ近畿な発言も吐いた。しかし根は素直で優しい人。感情さえうまくコントロール出来れば最高の側近といえる。当時、私が最も尊敬していた法友のひとりです。大師・幹部会議に出席し、グルからも重用された弟子。だが側近の愛弟子として上祐クラスに居なかったのが不思議だ。
彼も知子には頭が上がらないタイプだった。兄弟とも仲が良く喧嘩はない。二人とも上祐派であることは間違いないが、それ以上の権力はやはり知子の一声である。
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