東京地裁一審第11回公判午後  証人尋問 証人:Hさん

宮前一明さんのオウム時代の親友の方の尋問です。

ごくごく初期のオウムの雰囲気がよくわかります。

<東京地裁一審第11回公判午後 証人尋問>

(前略)

−(弁護人)Hさんが入会されたときのオウムというのは、オウム神仙の会ですね。 

はい。 

(中略) 

−今おっしゃったように、サンガというものを作ってから、いわば、そこでもう完全に世俗と離れて修行生活をするという形で、出家というものがそこで明確になったということなんですね。 

はい。 

(中略) 

−あなたが言われる、悟り、解脱というのは、あなたとしては、そんな状態であるというふうに思っておられましたか。 

要するに、いわゆる人間にあるエゴが死んで、本質、真我、魂といってもいいですけれども、それが、まあ表現はちょっとしづらいですけれども、真我としてあるということですね。 

(中略) 

−さて、オウム神仙の会なんですけど、これは、どういうことでその存在を知ったんでしょうか。 

「ムー」という雑誌がありまして、その雑誌を書店で読みまして、それで知ったわけですけれども。 

−それは、麻原が空中浮揚をしているというふうな雑誌でしょうか。 

はい、その雑誌です。 

−その雑誌を見て、どんなふうな印象をお持ちになりましたか。 

最初の印象は、やはり、強く惹きつけられるというか、まあ超能力を持っているなと自分で思いましたね、その写真を見て。 

−本当に麻原が空中浮揚をしていると、そういうふうにお感じになったわけですか。 

はい。そう思って、強く惹かれました。 

−そういうことが原因で、オウムの本部というのか、道場というのか、そちらに行くことになるんですね。 

そうです。 

−具体的にいうと、当時、オウムの本部というのはどこにあったんでしょうか。 

渋谷のマンションなんですけども。 

−そこを訪ねていかれたんでしょうか。 

はい。 

−そのとき、初めていかれたときは、そこには、信者としてはどんな人がいましたか。 

石井とかX、飯田、Xきょうだいですね。 

−麻原は、そのときはどうでしたか。 

そのときはいませんでした。 

−初めに行ったときは、どんなことをそこで話をしたりしたんでしょうか。 

この団体をどうやって知ったのかとか、これからどうしたいのとか、何かとういうことと、あとは世間一般の話をちょこっとしたぐらいですね。 

−その最初のときは、オウム神仙の会について、Hさんとしてはどんな印象をお受けになったんでしょうか。 

アットホームな感じで、本当に好感を持てる、惹きつけられるような部分はありまして、堅苦しくないし、そういうところで惹かれましたね。 

−そういう印象をお持ちになって、それからまたオウムの本部に行かれていますよね。 

はい。 

−そのときは、今度は麻原にお会いになったんでしょうか。 

そうです。 

−それは、麻原と会うというような約束をして、次のときは行ったんですか。 

ええ、たしか、石井から、いついつくるからということで、そのときにこればということで、行ったわけです。 

−その時の麻原の印象は、Hさんとしてはどんな風に受け止められましたか。 

最初に見たときは、やはり、インドにいるヨーガの業者とか、そういう感じを受けまして、そういう意味で、惹きつけられる部分も前から持っていきましたんで、興味を持ちまして、普通にだれとも分け隔てなくにこにこしながら話してくれたんで、こういう人ならいいなという風に思ったわけです。 

−麻原とも、いろんな話をそのときにされていますか。 

はい。 

−どんなことを話したかはご記憶ありますか。 

結局、どうやって知ったのかとか、これからどうしたいんだということとか、あとは、私の過去を、つまり、精神世界の何かやっていたかということで、ラジニーシの関係をやっていたということとか、そういう関係をお話ししましたけど。 

−そのときは、非常に麻原に対してはいい印象だったんですね。 

そうです。 

−本当に修行を一生懸命積んでいるなと、そういう感じを受けたということになりますか。 

はい。 

(中略) 

−そうすると、もうそうなってからは、どちらかというと、麻原のそばにいて、麻原についていろんな活動をするというか、そういう状態になったわけですか。 

そうですね、石井とともに。だいたい、私と石井がそばにいて、いろいろ行動しましたけれども。 

−そういう風に麻原がHさんのことを気に入ったというのは、どういうことが理由だというふうに思っておられましか。 

精神世界を私は独学で随分やっていたもんですから、そういう系統のことをよく知っているということと、それから、自分自身が独自で神秘体験をしたものですから、それも経験というんですか、それから、あとは、(※他団体)というところで、そういう出家生活みたいなことをやっていたということですね、その三点だと思いますけれども。 

−そういうところで麻原から評価されたというふうに思っておられるわけですね。 

はい。 

−その間、麻原から、シャクティーパットというんでしょうか、そういう修法を受けたというようなことはありますか。 

あります。二回あります。 

−それを受けたときは、どんなような体験をされていますか。 

私が独自でなった神秘体験と非常に似ているんですけれども、尾てい骨に眠っているエネルギーがあるんですね、そのエネルギーが背骨を登っていって、実際の背骨じゃないですけど、まあ背骨の方を沿って上がって、頭部にそのエネルギーがいくわけですけれども、そのときには、生まれて初めてというか、そのすごいエクスタシーがくるんですよ。もうどうなってもいいぐらいのすざまじいエネルギーが登ってくるという感じですか。 

−自分の体の中に登ってくるような感覚があるわけですか。 

そうです。ものすごいエクスタシーなんですよ。それで、頭部に達すると、今度は、頭蓋骨に接ぎ目があるんですけれども、その接ぎ目がバキバキという音がするんですね。 

−それを、あなた自身が感じるわけですか、音を。 

はい、私が感じるんです。 

−そのときは、麻原はどういうことを具体的にするんですか。 

親指で私のみけんを、少し回しながら、マントラを唱えながら、エネルギーを出すわけですけれども。 

−そうすると、そういう麻原のシャクティーパットに対して、時間的にはどのくらいでそういう状態に達するんですか。 

すぐでしたね。もう親指をつけてすぐですから、ものの二、三秒ですぐ上がってくるわけです。 

−ほかの弟子の方は、そんなにすぐに反応はもちろんしないんでしょうね。 

いろいろ聞いてみたんですけれども、僕みたいな体験はあまり聞かなかったですね。それに、麻原はおまえはやはり相当なものだということは言っていましたから。 

−そういう意味からも、麻原としては、非常に大事にしたというか、そういうことがあったんですね。 

まあ、大事にはしてもらいましたね。 

(中略) 

−そうすると、Hさんが出られるまでで結構なんですが、教義がまとまってきたとか、あるいは、教義の内容にいろんな変化があったとか、そういうことはありましたか。 

ありました。実際は、本を作り始めたときから、徐々に体系化されていったと思いますけども。 

−その体系化するに当たっての教義の要素というのは、基本はやはりヨーガですか。 

ええ、ヨーガです。 

−それに別の要素等が入ってくるわけですかね。 

密教系とか、あとは、麻原独自の考え方、そういうものを取り入れて、やったと思いますけれども。 

−麻原は阿含宗にいたという経験がありますよね。 

はい。 

−その経験なんかも、やはりその教義の中には生かされているんでしょうね。 

当然、色濃く出ていると思いますけれども。 

−Hさんは、別に阿含宗のご経験とかは。 

全然関係ありません。 

(中略) 

−麻原のことを改めてうかがいますが、最初に入ったときは、本当に修行者だということで、Hさんは非常に麻原のことは尊敬していたんですね。 

はい。 

−それは、やはり、いわゆる師としてあおいだわけですね。 

はい。 

−そのごろは、まだ麻原はいわゆる解脱をしたということではなかったんですか。 

一修行者だということは言っていましたし。 

−その修行者だと言っていた当時、自分が今修行中なんだということを何か示すエピソードがありませんでしたか。 

ある日、ちょっと出かけるぞと言われて、Xと私と石井と麻原の四人で福生のほうへ向かったんですね。私は、そのときまで名前を聞かされていなかったんですけど、会う寸前に雨宮第二に会うと言われたんですね。それで、あるスナックか何か、パブみたいなところで会ったわけなんです。そのときに、麻原はぺこぺこしながら、もう相当偉い人なんだなというふうに僕は感じたんですけれども、偉い人と会うんだと思って僕らも緊張したんですけど、そのときに、雨宮にいくつか質問しているわけです。それで、その内容が、麻原が雨宮にむかって、私は、あるビジョンとか、いわゆる光の体験とかがあるんだけれども、こういう現象というのは、自分はどういうレベルにいるんでしょうというようなことを聞いたんです。それで、雨宮は、そうかと言って、笑いながらお酒を飲んで、それで終わってしまったんですよ、結局、明快な答えというのは得られずに、それで、僕もそのやりとりを見ていて、ああ、まだまだだなというのは、そのときには思ったわけなんですけれども。 

−それは、麻原も非常に謙虚な態度で雨宮に聞いているということだったんですか。 

すごい謙虚で、一瞬、はた目から見れば弟子じゃないかと思うぐらいに感じましたから。 

−その雨宮という人がどういう人物だというのは、その後とかに聞いてはいませんか。 

その後には、本とかもだしていたですね。それをちょっと読んだ覚えもありますし、まあ相当なものなのかなという感覚を受けましたけど。 

−麻原と具体的にどういう関係にあるかということは、わかりませんでしたか、結局。 

結局わからないですけれども、まあ、雨宮のほうは、おまえは弟子なんだと言っていましたし、麻原は麻原で、いや、おれは弟子なんかになった覚えはないと言っていましたけれども。 

−そうやって雨宮のところに行ったという体験は、その一度きりですか。 

そうです。ただ、その後に、雨宮は弟子を連れて何回か渋谷のマンションに訪れています。 

−そのときの態度は、やはり、むしろ麻原が雨宮を立てるという関係がずっと続いていたわけですか。 

そうです。お布施もしているはずですね。 

−そういうことがあって、その後、どうも麻原に対して、これはおかしいのではないかという不信が芽生えたということがありますよね。 

はい。 

−それは、いつごろ、どんなことがあったからでしょうか。 

それで、雨宮とのその体験からだいたい2ヶ月ぐらい後、7月ぐらいだったと思いますけれども、ヒマラヤへ何回か行っているわけですね。それで、ある日、帰ってきたら、急に、おれは最終解脱をしたと行ったわけですよ。それで、びっくりしたわけですね。それまで、たかだか2ヶ月前にそのような状況で、いきなりヒマラヤへ行って解脱したなんて言ったわけですよ。半分僕は信じられなかったんですね。それで、信者にしてみればすごいことだから、みんな集まってきて、麻原を前にして、私が横にいて、麻原がいて、石井がいたんですか、その前に信者がいたんですけれども、それで、いろいろな質問をしてきたわけですよ。どこで解脱したんですかとか、どういうふうに解脱したんですかとか、何かいろいろな質問を受けて、最初はいろいろ受けていたみたいですけれども、最後のほうになって、やはり答えづらくなってきたんですね。それで、横にいた石井に、なあ、おれ、最終解脱したよなと問いただしたんですね。それを横で僕は聞いたときに、これは全くうそだなという、うそをついているというのはすぐわかりまして、それからが不信の始まりですね。 

−なぜ、石井にそういうことを聞いたことが、うそなんだというふうに思われたんですか。 

ですから、もともと主観的なものであるものを、自分のことだけの体験なのに、第一、人に問いただしてわかるような問題じゃないんですよ。それも、悟ってもいない自分の弟子にそういうことを言うこと自体がもうすでにおかしいんですよ。だから、これはうそだと、もうすぐわかりまして。 

−そういうことがあってから、その後、麻原に対する信頼感というのは、どんどん悪くなっていったんですか。

はい。 

−悪くなったのは、今の解脱したことがうそであるということが一つ基本にあるわけですが、ほかには、麻原を信頼できなくなる出来事として、どんなことがあるんですか。 

ですから、おれは超能力があるんだと、まあ確かにありましたけれども、ありもしない自分の超能力を、あるあると言うわけですね。例えば、いろいろな問題を持っている信者さんがきたときに、前もってだれかから情報を入れておいて、それで、初めて会ったときに、それをすらすら言うわけですよ。そうしたら、みんな驚くわけですよね。どうだ、おれは、なんでも見通せるんだぞということを言うわけですよ。そういうまやかしとか、それとか、以上に猜疑心が強かったもんですから、ある人をスパイだといきなり言い出して、私に、スパイしろということで、そういう行為をされたり。 

−そうすると、そういうひとつひとつの出来事が、Hさんからすれば、解脱した人間のやることじゃないと、そういうことなんですね。 

全然そういうふうには思いませんでした。 

−それで、日増しにどんどん不信感が強くなっていくという状況ですか。 

はい。 

−そうやって麻原に対して不信を持っているというのは、周りにはあまりいなかったんですか。 

というか、岡﨑くんとは、そういう話は、核心に触れるまではいかないですけど、話したことはありますし、もともと、そういう麻原に対する不信とか、疑惑と言ったら言い方がおかしいけど、そのようなことをだれかに言った途端に、それが、つうつうで、すぐ麻原の耳に入るようになっているんですよ。ですから、周りじゅうスパイがいるみたいなもので、とても言えるような状況じゃないんですよ。もしばれると、とてつもなくどなられますし、つらい修行もまたいきなりさせられるという状況でしたから。 

−その今おっしゃった、つらい修行とか、具体的にいうと、麻原の気に入らないとどんな目にあうんですか。 

例えば、僕はこれはそうじゃないかと思うんですけれども、いきなり私に頭陀の行をやってこいと言い出して、ほとんどお金も持たせずに、何も持たせず、山へ行ってこいというわけですよ。それで、まあ私は行きましたけれども、結局、そのときも、このままもう逃げようかなというのもあったんですけど、維持もありまして、結局、一週間ぐらいで帰ってきたんですけれども、そのときも、やはり、おまえはああやっていただろう、こうやっていただろう、おまえの心のうちはこういうふうだっただろうと僕にいうわけですよ。そうじゃないんですけれども、なあ、おれは当たっているだろうと言って、おれはおまえを全て見ていたんだぞというんですよ。それを聞いて、またもや、あんだこいつと思っていたわけですね。 

(中略) 

−昭和62年の1月に、丹沢で宗教セミナーというのが行われていますよね。 

はい。 

−それに、出られた記憶ありますか。 

ええ、出てます。 

−そのセミナーで、いわゆるポアというものについて麻原が説法したという事実があるんですけれども、それをあなたは記憶されていますか。 

おそらく言っていたのかもしれませんが、私は記憶にないんですよ。というのは、そのころはもう、またおかしなことを言ってるなとか、そういう頭でいるものですから、真剣にその教えを請おうなんていうキアさらさらなくて、もう頭の中は、ただ出たいなとか、そんなことばかりでしたので、内容は全く聞いてないと思います。 

−そのころ、例えば、マハームドラーというようなこととか、ヴァジラヤーナの教えというような教義、そのころにあったかどうか、ちょっとはっきりはしないんですが、そういうふうな教えを麻原から聞いたという記憶はどうでしょうか。 

それもないんですよ。 

−例えば、ティローパ、ナローパという師弟関係の話とか。 

その話は、知ってましたけれども。 

−アマルカ、ミラレパとか。 

はい。 

−それは、もうすでに知識としてHさんの中にあったわけですか。 

もともと、オウムを知る以前から知ってましたから。 

−そのことを聞かされて、別にHさんにしてみれば、それを聞いたからといって、どうってことはないということですか。 

真新しくはありませんし、かえって彼独自の考え方を取り入れてあるから、よけい聞くのがイヤなんですよね。不信ばかりが募るばかり。だから、聞かないというか、記憶にないのは、そのためだと思いますけれども。 

−最終的にX年のX月に脱会してますよね。 

はい。 

−そうなった直接のきっかけというのは。 

直接のきっかけは、Gくんという信者が、(麻原が)あいつは(阿含宗の)スパイだということで私に尾行しろと言って、で、変装までしてつけたわけですよ。だけど、一体おれは何をやってるのかという自問自答で、不信どころじゃないなという、もう出るしかないなという結論に至ったわけです。もともとGくんは僕も親しいほうでしたから、彼が(スパイを)するわけはないということは確信してましたし、猜疑心が強いということも知ってましたから、イヤでイヤでしょうがなかったんですね。 

(中略) 

−先ほど、ここにいる岡﨑くんのことが話に出ましたけれども、岡﨑くんとあなたが知り合いになったのは、いつごろ、どんなことからがきっかけでしょうか。 

丹沢でセミナー、X月に行ったわけですけれども、そのときにたまたま彼と横になりまして、それで、修行の合間なんかに話すようになったんですけれども。

−セミナーというのは、昭和X年ですね。 

そうです。 

−その話をしたときに、岡﨑くんについてはどんなふうな印象をお持ちになりましたか。 

私も冗談とか好きなものですから、そういうことを言い合える感じがしましたし、それに修行なんかも一緒にやってたんで、すごいまじめにやってたということを感じて、ああ、まじめな人なんだなという、そういうところにひかれたわけですね。 

−本当に一生懸命修行をする、というふうな態度でしたか。 

まあ、仕事も一生懸命やってましたけれども。 

−本の出版では、彼としばらく一緒に仕事をしたことがあるんですね。 

そうです。 

−そのときの仕事ぶりなんていうのは、どんなふうな。 

すごいですね、その一言に尽きますけれども。結局、オウムがでかくなったというか、本の売れ行きとか、そういうことも含めてですけれども、彼の努力があるおかげだと思いますけれどもね。

−そうすると、それ以来、岡﨑くんとあなたは親しい間柄。 

はい。 

−中では、非常に親しい仲間ということになったわけですか。 

はい。 

−ほかの信者では、どんな人が岡﨑くんとは親しい人間だと思いますか。 

あとは飯田エリ子とか、XXとか、XXとかそのあたりでしたね。 

(中略) 

−いわゆるHさんが持っている麻原に対する不信感、そんなことは話をして、何か議論をしたとか、そういうふうな記憶はないんですか。 

言ったんだと思いますね。一回呼ばれてますから、それで。 

−呼ばれたというのは、だれに呼ばれた。 

私も記憶が定かじゃないんですけれども、たしかXと岡﨑くんと僕とで何か話たんですよ。その内容まで覚えてないんですけれども、それが、結局、筒抜けで、すぐ麻原の耳に入りまして、で、呼ばれてどなられたわけですよ。 

−そういうことがあってからは、もう三人の間でも話をしなくなってしまったと。 

三人だけでなく、みんなに。 

−岡﨑くんは、麻原に対するHさんがそういう疑いを持っているということは、しってたんでしょうかね。 

私の不信ですか。 

−ええ。 

気づいていたと思いますけれども。 

−それを一緒になって共鳴をするとか、共感を持つとかというところまではないんですか。 

もちろん共感をした部分もありますし、そうでないときもあったと思いますけれども。 

−完全に話があうということでは、そこまではいかないわけですね。 

というか、最終的な核心部分に触れるようなことまで言えないじゃないですか。だから、そこまでのことは言ってないと思うんですね。だからもしそういうことも話せるような状況でしたら、当然、共鳴していたと思いますけれども。 

−さっき言われた、例えば、雨宮第二との件とか、おれは最終解脱したんだなと一緒に話したこととか、そういうことは。 

そのとき話してないんです。 

−全くしらないんですね。 

はい。それが最も核心部分だと自分で確信してたので、それを言ったために、僕だけならいいけれども、岡﨑くんにも被害が及ぶという場合もあるじゃないですか。たとえあ、出て行けでもいいし、どなられるにしろ、つらい修行をいきなりさせられるにしろ、自分の身を守るということと信頼したその相手にも被害が及ぶということで、言わなかったと思います。 

−それで、あなたはそういう系かで結局オウムを脱退するんですが、その脱退するときは、最後に岡﨑とは何か話をされてますか。 

ええ、出るときに、お互い頑張ろうということを話し合いまして、電話とか、できればするし、僕からはかけられませんから彼からならするし、また機会があったら、外で営業をやってるから会うこともできるからと言ってそのときは別れたんです。 

−そのときは、岡﨑くんも一緒に、ここに長くいないで出たほうがいいとか、そういうことで脱退するように誘おうというような考えは。 

当然ありましたけれども。 

−それは、口に出しては言わなかった。 

というか、彼もどちらかというと、世間へ出ても身内の人もいないということは知ってましたし、そこまで僕は言い切れないなというのもあったということもありましたし。 

−反対に岡﨑くんのほうから。 

ただ、僕が出ると言って、おれも出るわと言ってくれるかなという希望はありましたけれども。 

−そういう期待はあったんですか。 

だけど、一緒に出ようというまでの勇気は、言えなかったですね。 

−反対に、そんなことを言わないで、もう少し頑張ろうやと止められたりしたことはないんですか。 

いや、それもあると思いますよ。 

−もうHさんとしては、いくら言われても自分としては出ることを決めたという考えだったんですか。 

はい。 

−最後に出るときに、岡﨑くんからお金を貸してもらったということがありましたよね。 

はい、私が出ると聞いたときに、結局、私も全く無一文ですから、世間に出て大変だろうと言って、XX万円を彼から、返すのはいつでもいいから使いなと言って、私に貸してくれたんですけれども。 

−それは、後で返してるわけですね。 

はい、連絡があって返しました。 

(中略) 

−現在、あなたは、宗教とか、さっき言った精神世界の興味ですね、それについては何か、いまだに信仰のようなものを持っておられますか。 

というか、独学で精神世界とか、哲学的なものは、死ぬまで追求していきたいなとは思っていますけれども、特定の団体とかにはもう、もうというか、絶対に入りませんけれども。 

−やっぱりそう思われているのは、オウムでの経験や体験が強いんですか。 

そういう経験もそうですし、もともと団体というものを組み始めると、真の教えが、結局、消え去っていくわけですね。ただ、エゴの集団になっていくというだけで、それが嫌なものですから。 

−そうすると、あなたとしては、本来、そういう修行のあるべき姿というのは、そういう個人的な形の修行というのが本来の姿というふうな考えですか。 

決して間違ってはいないんでしょうけれども、やはり、そういう部分が非常に強くなっていくものですからね。 

−組織化するということですか。 

そうです。ですから、個人のほうが、まだいいなと思っているんですけれども。 

−そのあなたが出られた後、岡﨑くんとの付き合いなんですけれども 

、岡﨑くんがオウムにいた当時も、連絡とか、そういうのはあったんですか。 

ありました。 

−あったりしたこともありますか。 

はい、彼から電話がきてます。 

−岡﨑くんが大師になったというようなことで、連絡を受けたということはありますね。 

大師というより、解脱したということで電話を受けてます。 

−解脱したということで、おれは解脱したんだぞということで。 

遊びにも来てますし。 

−解脱したというのは、具体的に言うと、どういう過程を経たというふうな話だったんですか。 

いや、そんなに詳しくは話していないと思いますけれども、こもって、それで、結局、解脱したと麻原から言われたということで。 

−ホーリーネームをもらっているというようなことも聞きましたか。 

聞きました。 

−それを聞いて、特に印象というか感想は。 

というか、もともと麻原本人が解脱していないのに、したと言ってきたものですかrあ、それを別に阻害するつもりは毛頭なかったから、そうか、おめでとうとはいいましたけれども、複雑でしたね。確かにうれしいから僕に電話してくれたと、そのことはうれしいんですけれども。 

−岡﨑くんは、本当に自分で心から喜んで、Hさんにも一緒に喜んでほしいというような感じだったんですね。 

はい、そういうことで電話してくれたんですよ。それはすごくうれしかったんですけれども、結局、麻原がうそをついてるということが引っかかってるものですから、ちょっとつらい部分もありましたけれども。 

−岡﨑くん以外には、オウムの関係者等の接触はなかったんですか。 

はい。 

−全くありませんでしたか。 

はい。 

−ちょっと後になりますけれども、いろんなオウムの関係で事件とか、まあ活動でもいいんですけれども、そういう記事とか何とかは、ご覧になったことはありますね。 

ええ、雑誌とか新聞なんかで、たまに出たのを見てますけれども。 

−そういうのをご覧になって、何か特に印象とか、そういうふうなものはお持ちでないですか。 

印象は、はっきり言って、またばかなことをやってるなというくらいしか思わなかったですね。 

−あまり、もう強い大した関心はなかったと。 

関心はありますよ。どういうことをやっていくんだろうという、つまり、何かやらかすんじゃないかとか、またばかなことをやらなければいいがとか、そういう感じでは強い関心を持ってテレビに出たときとか、雑誌とかは、必ず見てましたけれども。 

−そんなふうに思われる原因というのは、どういうことがあるんでしょうかね、またばかなことをやるんじゃないかということは。 

つまり麻原本人はうそつきで、結局、猜疑心が以上に強いですし、そういうところですかね。エゴイスティックという部分も非常に強かったし。 

−逆に、ある程度の組織になると、麻原が、例えば、そういう人物であったとしても、組織として、いわゆるチェックしてコントロールするというのか、そういうのが働くということは、お考えにならなかったですか。 

ですけれども、あの団体には特有のものがあるんですよ。制御がきかないというか、つまり麻原というのは、超カリスマ的な人物なんですね。ですから、たとえ黒のものでも、白と言えば白に向かわなければいけないんですよ。そういう特質を持っているんで、自分の理性とか、正義感とか、あるいはいろんな部分のポジティブな部分でも、ネガティブなものだと言い切れば、それに向かっていかなければいけないんですよね。 

−あなたの知っている限りでは、弟子の中で、そういうことをきちっとやりそうな人というのは、もういないということなんですか。 

そうですね、私がたまたま側近で、最初のうそからずっと見てますので、ですから、私は、それで出るきっかけになったわけですけれども、ほかの信者たちは、やはり一歩後というか、少し離れた部分で接触しなければいけないところがありまして、ですから、内情というのは、僕みたいに詳しく見られてないわけなんですよ。だから、結局、麻原が解脱したと言えばみんな信じるし、超能力があると言えばみんな信じるし、正しく見極める位置にいないわけですよ。だから、やはり、こうしろと言えば、当然しなければいけないし、してしまうでしょうし、一種のマインドコントロールですけれどもね。 

−岡﨑くんについては、そういう麻原の、いわばマイナス部分というか、まやかしの部分と、今おっしゃっていますけれども、そういうものに、いつか彼も気がつくだろうというふうには、Hさんは思っていなかった。 

はい、いつかは。 

−いつかは気がつくだろうとは思っていたんですか。 

はい。 

−どちらかというと、早く気が付いてほしいというような感じもありましたか。 

そうですね。あるいは気がついていたけれども出られない状況だったのか、つまりがんじがらめになっていて、たとえ出たとしても無一文ということもあるでしょうし、いろんな要素が働いたと思いますけれども。 

−現実に彼は、その後、オウムから逃げて来てますけれどもね。 

はい。 

−そのオウムから出てくる前、何かあなたに相談を持ちかけられたとか、自分はこれ以上オウムにいられないかというふうなことで、そういう連絡を受けたということはありますか。 

ありません。 

−それは、全くないんですか。 

はい。 

−そうすると、彼がオウムを脱退したということを知ったというのは、いつ、どういうきっかけですか。 

月日は思い出せないんですけれども、ただ、彼が脱退したすぐ後に、フォーカスという雑誌で、彼の写真がでかでかと載って出てたんで、それで知りました。 

−それで、いよいよ脱退したんだなというふうに思ったということですか。 

はい、よかったと思っていたんですよ、その日は。 

−それでその後、岡﨑くんとの付き合いが始まりますよね。 

はい。 

−それは、どういうことから付き合いをしたんですか。 

彼から突然電話があって、今、どこどこにいるからということで、じゃあ会おうよということで日にちを決めて、で、彼のところに会いに言ったんですね。それから付き合い始めました。 

−会ったのは、山口の宇部ですか。 

はい、そうです。 

−そのときは、どんな印象というのかな。 

私が以前付き合ってた感じと全く変わらずに、本当の親友に会えたと言う感じの印象でしたけれども。 

−オウムのいろいろ教義の影響を受けて、やっぱりちょっと普通じゃないとか、そういう感じは、もうなかったですか。 

いあ、全然ないですね。むしろ、かえって精神的なものを話すと悪いかなという気兼ねみたいなものがあったくらいですから。 

−オウムの話はあんまりしなかった。 

オウムというか、オウム自身のおかしな部分、麻原はこういうばかなことをやったとかいうことは、いろいろ聞かされましたけれども。 

−そうすると、彼のほうから、麻原のいろんなことについては、口から話が出るような状態にはなっていたんですね。 

はい。 

−そうすると、ちょっと戻りますが、雨宮第二の件とか、石井におれは最終解脱したなと尋ねたこととか、そういうのは、そうやって岡﨑くんと会うようになってから二人で話したんですか。 

そうです、話し出した。 

−何かかれは感想を漏らしましたか、そういうことを話したことについて。 

そういうことあったのかということで、もっと早く知らせてくれればよかったのにというようなことは、たしか言ったと思いますけれども。僕も余り、どうせ出たんだからと思って、それほど気兼ねなく思っていたんですけれども。 

−その程度、お互いそんな話をしただけで、だからどうだとかいうことにはならなかったんですね。 

はい、あとは冗談ばかりで。 

−さて、彼は現実に、坂本弁護士一家の事件に関与しているわけですけれども、岡﨑くんに坂本事件にかかわっていないのかということをあなたのほうが尋ねたか、あるいは彼のほうからそういうことが口に出たか、そういうことはありますか。 

私が尋ねたんです。坂本弁護士の事件は、オウムがやったんじゃないのかと聞いたんです。 

−そのときはもちろん、岡﨑くんが関わっているとは、Hさんは全く思っていないわけですよね。 

思ってません。 

−ただ、オウムがやってるんじゃないかと。 

オウムがやってるんじゃないかと、それは、マスコミとか、大々的にオウムじゃないかということも書き上げていましたし、そういうのを見る限り、まあ麻原だったらやりかねんなという考えで、聞いたんですよ。そうじゃないのかと言って。 

−それに対して、彼はどんな答えをしたんですか。 

彼は、いや、それは違うということで、多分、暴力団の関係だろうという風に言ったわけです。 

−そうすると、あなたとしては、彼のいうことを間に受けたというか、そうなんだなというふうに思ったわけですね。 

はい。 

−そうすると、最終的にというか、本当に彼が関与してたんだというふうなことをあなたが知ったというのは、いつの時点になりますか。 

サリン事件の後、2ヶ月後ですか、五月ごろに、彼から突然電話がありまして、実はもう会えないということで、どうしてと聞いたら、実は坂本事件にかかわっているんだということで、そのときに聞かされました。 

−そういうことを電話で聞いて、そのときは、あなたとしてはどんな気持ちになりましたか。 

ものすごいショックでしたね。悲しいとしか言いようがない、別れるのは、つらいというのもありますし、いわゆる麻原に利用されてしまったという、その部分が悔しいというのと。 

−その後、またいろいろとマスコミでオウムのやっている事件とか、いろんん報道がどんどんなされるようになりますよね。特に平成五年くらいになってきますとね。 

ええ。 

−その当時、ひょっとしたら岡﨑くんがそういう事件にかかわっているんじゃないかというふうなことは、あなたは考えたことはありませんか、その電話を受けるまでは。 

まあ、彼は出ていたし、おそらく、そういうことはないなというふうに思っていました。 

−現在、ご承知のとおりですけれども、いろんなオウムが犯罪行為をやっているんですけれどもね。これは、どうしてこんなふうになってしまったか、あなた自身の過去のオウムにおられたときの体験、経験から、なぜそんなふうになってしまったというふうに、今、思っておられますか。 

−事件を犯したオウム全体としてですね。 

私は、たまたま近くにいて麻原のそういう素姓とかがわかったんですけれども、ちょっと離れた人たちには、その素姓がわからない部分、ですから、この人が本当の師であるということをずっと認めてるわけですよね。だから、そういうことで、彼はまじめで、そういうところがありますので、だから、こうしろといえば、やっていったんだと思いますけれども。 

−彼というのは、岡﨑くんのことをさすわけですね。 

はい。 

−ただ、岡﨑くんに限らず、ほかにも、いわば、そう言っちゃあれですけれども、社会的にいえば、かなり高学歴でエリートと言われる人たちが事件を起こしてますよね。 

はい。 

−これは、どうしてそんなふうになったか、そういう一般的なことで結構ですけれども。 

一般的に言えば、他の人たちに関して言えば、宗教的にもそれほど深い理解を持っていませんでしたし、むしろ博士の状態みたいな状況でしたけれども、そういうところで麻原独自の案が絵を埋め込まれたら、それはそのとおりだというふうに思ってしまうのは当たり前だと思うんですよ。だから、疑いなく、まあ、疑いを持った人もいるかもしれませんけれども、ほとんどもう、そういうことでやってたんだと思いますけれども。 

−ただ、学歴なんかのある人であれば、まあそうでない人は別として、一応、特に自然科学系の信者の人では、結構多いですよね。 

はい。 

−そういう人たちが、いわば別の意味での異質なそういう教義を信じて、しかも、犯罪行為まで、いわば平気というか、それを受け入れてしまうというか、そういうことについては、何か原因として思い当たるような、自分としてはこう考えるというようなことはありませんか。 

科学的なものに知識を持っていても精神的なものに知識がなければ、結局、麻原が全てだと思っていれば、知識がそういう精神的な面が深くないわけですから、わからないと思いますよ、いくらほかのものでは秀でていても。 

−いわゆるチベット密教には、犯罪行為もその宗教のためには許されるんだというふうな教義もあるように聞いているんですが。 

はい、実際それはありますけれども。 

−ただ、別にその教義があるから、どこでも犯罪が行われているということではありませんよね。 

はい。 

−正にオウム特有のものですよね。 

そうです。これは、麻原独自の考えですね。彼の性格が、もろ表れた教義だと思いますけれども。 

−そういったものに、やはりそういう信者たちがみんあ従わざるを得ないというのは、今、言われたように、やっぱり精神的な部分では自分にしっかりしたものがないからだと。 

精神世界に関してですね。 

−それが原因だろうということですかね。 

はい、それもあると思いますよ。 

−ただ、あなたは麻原のそばにいて、そういう麻原の実態というか、実像を見て来たから、ある程度気がつかれたというふうに言いましたけれどもね。 

はい。 

−古参の幹部、特に岡﨑くんなんか割合に古参になるわけですから、そういう意味では、岡﨑くんもそれを気がつきうる立場にあったということはないですか。仮に、それを彼が気が付き得なかったとすれば、それは、Hさんの場合と違うんでしょうか。 

私そのものは、一度体験してますよね(※Hさんがオウム入信前に修行していた団体名)というところで。そういう体験に裏打ちされているものもありますし、そういう精神世界の関係の本も読んでいたということもありますし、そういうところの差が、やはり体験という差が大きかったんじゃないかと思うんですけれども。 

−やっぱりあなたは体験に裏打ちされているから、いわばこれが違うということが自分の実感としてわかる。ただ、岡﨑くんの場合は、そこまで見抜ける素地がないというようなことが、やっぱり大きな差になるんでしょうかね。 

だと思いますけれども…そうですね。 

−今思えば、あなたが脱会するときに、やっぱり岡﨑くんを一緒に誘って出ればよかったというふうな気持ちというのは、持っておられますか。 

持ってます。特にあの事件とのかかわりがあったということを聞いた時は、本当に悔しかったですね。 

−嘆願書を示したいんですが、よろしゅうございましょうか。 

(裁判長)いいですよ。 

(検察官)はい。 

−(H作成名義の嘆願書一通を示す)これは、あなたがご自身で今回おかきになって、持ってこられたものですね。 

はい。 

−この仲に、今述べられたようなこととかが書かれておって、それで最終的には、あなたの気持ちとして、岡崎くんの罪を少しでも軽くしてくださいということをお願いしたいということが書いてありますね。 

そうです。 

−今の気持ちは、そういうお気持ちでおられるということですか。 

もちろんそうです。 

−ただ、彼のやったことは非常に重大な事件ですよね。それにもかかわらず、あなたとしてそう思われるというのは、どうしてなんでしょうかね。 

やはり、麻原の巧妙なうそという形で人をコントロールしていって結局、信者たち、特に重大犯罪にかかわってしまった人たちにマインドコントロールというんですかね、そういう面が色濃く出ているんですね、私はいたから分かるんですけれども。そういうことを考えてみると、結局、彼も被害者じゃないかと思って。だから、もちろん親友ということもありますけれども、私もいた経験上、それがわかるものですから。 

(中略) 

−何かヨーガの修行を、(Hさんの入信前も)されておられたんですか。 

いや、それはしていません。本では独学でずっと研究はしてましたけれども、それ、そのものの修行は何もしてません。 

−そういう神秘体験もおありになったことから、精神的な世界の中に関心をお持ちになったというお話ですね。

強くもって、団体に入った方がいいかなという。 

−その入る目的は、悟り、あるいは解脱の境地に達したいと、そういうことなんですか。 

はい、そうです。 

−何がゆえに、悟りの境地に達したいというふうにお考えになったんでしょうか。 

何が… 

−大変難しいことを伺っているんですけれども。 

人間は生まれれば死があるわけで、結局、その死を、ただ、単純に自分の欲望だけでいくこと自体に矛盾を感じていて、それで、根源として、最終的なものは一体なんなのか、真理とは一体何かというところから、結局、悟りこそが全ての答えだということに至ったわけです。

−多くの若い人、中には若くない方もいらっしゃったようですけれども、そういう人たちが、この麻原の教義といいますが、開いたオウム教団に惹かれて入会したり、あるいは入信したり、あるいは出家したりと、こういうことになってきましたけれども、それはやはり今証人がおっしゃる悟り、あるいは解脱の境地に達したいという気持ちから、ここえ入って来ているんでしょうか。 

いや、一概にそれだけじゃないですね。超能力を得たいとか、例えば、病気を持ってる方は病気を治したいとか、いろいろいましたけれども。 

−その割合を私はうかがいたいんじゃないんですが。 

どうして至ったかということですか。 

−ええ、どうしてそういうところに。 

結局、この西欧社会というか、日本は科学的には随分発達しましたけれども、精神的なものは随分遅れているわけなんですね。ですから、その精神的な部分というのをどこかで補おうという、多分意識が働いて、若い人たちは、かつ防寒というか、そういうものでいろいろな新進宗教、新しい宗教がいっぱいできていますけれども、そのようなものにのめり込んで来るんだと思いますけれども。 

−そういうふうに入ってくる人たち、最初の段階は、そういう、ある意味であ非常に純粋なといいますか、自分の精神的なものを高めたいとかいう、そういう純粋な気持ちで入ってくるという風にご覧になっていましたか。 

はい。 

−岡﨑くんの場合も、そういう青年の一人だというふうに感じましたか。 

はい、そうです。 

−麻原のいんちきといいますか、でたらめな教義の中に、そういう精神世界に対する理解不足のゆえに、そういうでたらめ、いんちきが見破れないで、カリスマに引きずられていったというようなお話をされましたけれども。 

はい。 

−もう少し伺いますと、麻原自身が教団の中で自らのカリスマを維持し、よりカリスマの意向が届くような仕組みといいましょうか、そういうものを作っていたというふうにはおもわれませんか。 

その通りだと思います。 

−具体的に言うと、それはどういうふうな部分に現れていましたか。 

部分… 

−どういう仕組みの中に。 

仕組みというか、やっぱり教義の内容でしょうね。 

−例えば、カリスマというのは、証人のようにあまりに近くにいるとカリスマじゃなくなるわけですね。 

はい。人間の、その嫌な部分を見てしまうとか。 

−距離をあえて置くとか、そういう位置付けをするとか。 

そういうのはあると思いますよ。 

−何かそういうことをちょっと伺っているんですけれども。 

だから結局、あまりにも近くにいすぎると、その人の本性というか、その人のいろんな部分が見えてしまうものですから。結局、一歩離れた部分から常に信者をこう、何というんでしょう… 

−自分の姿を見せているというふうに。 

見せていこうというか、そういうパターンは使っていると思いますけれども。 

−それから、一対一の関係を維持したということも言われていると思いますが。 

はい。 

−そういう部分については。 

そうですね。常に大勢の前で一人にこう言い合うんじゃなくて、必ず一対一で話をしていく方法をとっていましたけれども。 

−それと関係して、ホーリーネームのアイデアを出されたのは、証人だというお話をうかがったんですが。 

はい。 

−ホーリーネームというのをつけるというのは、どういう意味からされるんですか。 

もともとの意味は、正式な弟子ということですね。 

−その正式な弟子ということの、いわばあかしのおうなものですね。 

はい、そうです。 

−なぜそういうものを、あかしとして必要とするんですか。 

より強固なものにしていくためでしょうね。教団を。 

−麻原氏と弟子の関係を、より強固なものに意識づけるという意味合いがありますね。 

はい、そうです。 

−そのホーリーネームを与えられた人たちは、麻原の真の弟子になったという、より強固な結びつきを自覚するとともに、それを喜びとしていましたか。 

はい。 

−岡﨑くんの場合も、先ほど話がありましたが、解脱したという電話連絡があった際に、ホーリーネームをもらったということを喜んでいましたか。 

はい。 

−それから、修行の結果、三グナというんですか、光が見えたり 

、あるいは幽体離脱というんですか、自分の心と体が分かれて、魂は宙を浮遊するけれども、全然違う次元からのものが見えるとか、そういうような体験が、ある種の修行の結果得られるようですけれども、証人自身はそういう体験ございますか。 

その神秘体験以外はないですけれども。 

−それは何か呼吸法によって、脳の中の酸素が過剰になっていたり、全然不足したりすると、そういう肉体的な反応を起こすということに過ぎないんだと言われておりますけれども、どうでしょうか。 

そういう説もありますね。 

−それは説として取ってるわけですか。 

説もありますが、それが全てじゃないと思いますけれども。 

−それは別段麻原の特有のものではなくて、ヨーガの修行自体によってそれは得られるものですか。 

超能力とかそういうものですか。 

−今私が申し上げた神秘体験。 

そうですね。要するに、麻原でなくてもヨーガを真面目にやればなると思います。 

−麻原の独自性というのは、それをハウツウのものにして、わかりやすく、やりやすくといたというふうに言われていますが、そういうことはありますか。 

そういうのもありますね。 

−(別弁護人)あなたは被告人と親友であるというようなことをおっしゃいましたけれども、もちろんオウムに入ってからの、短期間のお付き合いですよね。 

そうですね。 

−被告人を親友だと思うようになったのはどうしてですか。 

どうしてって、理由があること自体がおかしいと思うんですが、ともかく直感というんでしょうか、もちろん冗談言い合ったり、いろんなことを話せるということもありますし、それ以上にフィーリングというんでしょうか、この人は本当の親友だというのを感じるんですよね。 

−あなたが最初にオウムにいったとき、XXだったとおっしゃいましたね。 

はい。 

−そこには石井、X、X、飯田がいたと、先ほど言われたと思うんですが、この今言ったような名前の人たち、こういう人たちは、あなたが当時受けた印象なんですが、どんな人たちだと思ったんですか、例えば石井。 

当時は、いつも笑顔で優しく、新しく来た人たちにも指導してましたし、決して悪い印象はない、むしろもっと親しくなりたいなというような状況の人たちでしたけれども。 

−性格的に何か問題があるとか、偏りがあるとか、そのようなことを受けたことはないですか。 

それはないです。 

−今、名前をあげた人たちは、当時はみんないい人のような印象であったということですか。 

はい。 

−その中で、被告人とも知り合って、他の人たちと比べて、被告人がどこか違うとか、あなたにとって、特にあなたと親しくなるようなフィーリングがあるようなものはあったんですか。感じ方とか考え方とか修行の仕方とか。 

そのまま彼のまじめさというかそういうところもあったし、修行もまじめにやるとか、そういうことで信頼もおけるし、だからそういうところで彼ならなんでも話せるものなら話していけるなというそういう雰囲気ですか。 

−あなた自身も若い時からそういう精神世界に興味を持って、一途になられたこともあると、で、麻原のようなやり方がどうもいんちきであると気づいて離れていったと、あるいは前に所属した団体の人が、麻薬をやったということで嫌気がさしてそこを離れたと、非常に真剣に一生懸命という道を求めていたという印象を受けるんですが、被告人にもそういうところであなたと通ずるところがあったんでしょうか。 

あると思います。 

−そうすると、被告人はあなたが出て行った後も、オウムに残って修行を続けたんですが、かなりその辺で一生懸命自分の信ずるものを求めていったということは十分ありうるわけですか。

当然そうだと思います。 

−あなたが先ほど、そういうものを逆に利用されたというような趣旨のことをおっしゃいましたけれども、そういう感じを受けているんですか。 

はい。 

−あなたはオウムに入る前に、なんか先ほどの話ですと、神秘体験をしたと。 

はい。 

−この被告人ですけれども、あなたが接していたところは、まだそういう経験はしてない状態だったんですか。 

だったと思います。 

−そうすると、その後彼もそういう体験をしたようなんですが、あなたが出て行った後の修行でそうなっていったということになりますね。 

はい。 

−あなたが現在でも被告人のことを考えていただいているわけですか。 

はい。 

−当時は親友だったと。現実ではどういうふうに受け止めていらっしゃるんですか。 

変わりありませんけれども。 

−というと、こういう事件になってるんだけれども、被告人の本質的なものは変わっていないと。 

全く変わっていません。 

−事件と被告人との結びつきなんですが、どういうふうに受け止められているんですか。 

先ほども言いましたけれども、ある種のマインドコントロールでやらされた部分があるということと、そういうことで被害者的な部分もあるんじゃないかと考えていますけれども。 

−そういうことはあなたの立場からも十分考えられることであるということですか。 

そうです。 

−(検察官)先ほど、麻原に対する不信感を人に話したら、麻原にどなられたということをおっしゃっていましたね。 

はい。 

−具体的には、どういうふうな言い方でどなられたんですか。 

要するに、結局おれを信用できないのかとか、そういうことですね。 

−そこをもうちょっと詳しく聞きたいんだけれども。 

いやな思いでというのは、そうそう思い出せないので、どういうことを言ったのかちょっと覚えていないんです。ただどなられたということを覚えているだけで。すざまじい大声をあげて、どなられたんんですけれども。 

−岡﨑がそういうふうな形で。原因はともかくとして、麻原からどなられたということはあったんですか。 

ありましたよ。 

−どういう原因でどなられたんですか。 

先ほども話しましたけれども、Xと一緒に、彼と僕と三人で話したときに一緒にどなられてますし、それ以外では、確か、営業上の問題で石井ともめたときに、確か怒られてると思いますが、それ以外にもあると思いますが。 

−あなたが知っているのはその程度だということですか。 

はい。 

(中略) 

−被告人からオウムを脱会した理由についてはお聞きになりましたか。 

はい

−なんと言っていましたか。 

要するに、先ほど私が言ったようなことと似たようなことですね、言ったのは。 

−もう一回いってください。 

麻原がおかしなことをやってるということで、そこで嫌で出たということですね。 

−その出方が、話し合ったとかいう形じゃなくて、逃げるように出て行ってるんですが、その理由について何か言っていましたか。 

そういうところは、あまり詳しくは聞いていないです。

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