坂本弁護士事件について

ツイッターでのオウムウォッチャーの発言「坂本弁護士に「親元に帰りましょう」と言われて上祐が激怒したって話だけど、怒りのツボがよくわからんな。」についての返事

———

坂本弁護士に「親元に帰りましょう」(本当の文言「親が帰れといえば子供は従うべきだ!」です)と言われて上祐が激怒したって話だけど、怒りのツボがよくわからんな。
←この点についての旨。平成元年の頃は、親離れ子離れの、社会人としての峠(絆を越える)をクリアーしているかいないかというステータスのようなイメージを以て、大人か子供のままか?と他人を判断していた頃です。テレビでは、冬彦さんブームで、マザコンに対する男性へのイメージが、どのタイプか?と女性が判ずる世間。
 上祐が激怒したのは、20才を過ぎた立派な成人男子に対して、その親がああしろ、こうしろと従うことがあるものか!という意味です。20才過ぎれば人生は、自分自身の責任。判断もすべてが自分がするもの。どうして、親の云うことをきく必要があろうか!法律家の弁護士が、よくも常々とそんな文言を吐けるな!と怒ったのです。隣にはA弁護士も一緒に居ました。


別の日の手紙———

改めて、当時(平成元年10月頃)上祐とA弁護士が麻原の居る杉並区のKマンション(当時家賃50万円)に報告に来たとき、私と麻原と、その他数名(早川さんと石井久子かも)の前で、上祐の話した内容は、30分前後はあった筈。その中で、最後の「坂本弁護士さんとの激論の終盤にて、上祐が『ならば、わたし(上祐自身)でも親が家に帰れと言えば帰らなければいけないのですか!』」と。すると『そうだ!親が帰れといえば子供は従うべきだ!』と。こんなことまで、あの弁護士は言うんですからね。もう話にならないなァー」と。(わたしにでさえ、こんなことを言うんですからねーという言葉も上祐は行っていた記憶もある。)

坂本弁護士は、確か、既に平成元年の夏頃(もしかしたら5月かも)から動いており、最初は、出家サマナのY(女性で18歳くらい)さんの親の代理で、一度、富士宮に来て、オウムのA弁護士と早川さんとYさんが、会話をしてます。新實君も一緒だった。

その時は、やはり会話どころか平行線のまま、ケンカ別れの口調で終了し、早川さんが、Yさんの腕をつかんで引っぱり戻したもの。要するに、坂本弁護士は、未成年の子供たちを出家生活から、親元に戻す活動が中心でその為に、無料でもやると相当に熱心でした。(しかし10月の親たちの集いでは一家族に付き、12万〜15万を提示していたとか。)

いずれにせよ、出家した未成年の子供たちを、どうやって取り戻すかでA弁護士とのコンタクトも頻繁だった。法律的にも、可能性もあると踏んでいたのは確か。

A弁護士は、子供の自由意志の尊重で押し切る姿勢もあり、麻原は、20歳になるまで各支部に転居させ、時間稼ぎをするつもりだった。(それでも多数の未成年者がいるし、増加中でもあった)※あくまでも、文句を訴えて来る親御さん対策の一つ。

右のような訳で、坂本弁護士さんと上祐(とA弁護士)との激論の内容は未成年のサマナに対する内容が中心です。当日、横浜法律事務所での対話中、いつまでも平行線であるのは仕方なく、更に、宗教が絡んでいるのでややこしい。そんななか、上祐の『ならば、わたしでも親が家に帰れと言えば子供は従うべきなのか!』で、怒り心頭に達すと。上祐は当時26歳で、幹部のひとりで衆院選に立候補する立場の男。坂本弁護士さんの熱意が仇となったとも言えます。残念です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA