玉龍寺発行「正偏智 第13号」平成16年9月1日発行 に「無明から真人へ②」として収録されたものを、宮前一明さんの了承を得て順番に公開させていただきます。
筆ペン一本
ご老師(※1)が帰国されるまでの二ヶ月半、とにかく禅者の道を志す下賤な弟子として、末席の片隅に置かれるだけでもいい、そして自分にできる陰徳の贖罪を何かの形で顕して行きたい。
それともう一つ、ご老師の講話に触れた途端、忽然として覚証した気づきの体験とともに、18年前、狂気と呼ぶべき極限修行で得られた数々の神秘体験が、果たして<見性>の遠因と云えるのか否か、これらの見解を筆に託すことではないかと思い至りました。
ところが、それ以前の悩みとして、無収入の私にはお布施ができず、今の環境下では玉龍寺に赴いて作務をしようにも為す術がないのです。
一体どんな形の陰徳と利他行を果たせばよいのか、これと言った能力も何も無い私が、熟慮の末に辿り着いた結論が、墨絵だったのです。勿論、禅機画と呼ぶような大層なものではありませんが、墨絵に至る迄の経緯は確かに、大きな機縁に導かれていたのではないかと、そうおもわずには居られぬ事象の連続でした。
二年前、平和団体に投稿を続けるなか、或る日、面会の席で「筆ペンの墨を水で薄めれば、水墨画が描けるんじゃないの」との友人の発言に端を発した私は俄然、物の怪に取り憑かれたように一心不乱の挑戦が始まったのです。
極細の筆ペン一本で、どこまで水墨画に近づけられるか、約二週間、コピー紙の上に墨の濃淡を五つに分けて描き比べたものの反面、淡くなるほどに水分が多く渇くのに数時間あまり、失敗のときは決まってシワ寄ればかり。画仙紙さえ使用できれば何んでもないのに、当局(※2)では購入不許可。それでも五色の濃淡で描いた作品は、それなりの評価を受け、自分なりに安堵したものでした。しかし、本物の水墨画は、叙情的な陰影と濃淡の妙技を醸し出せ、特に、ぼかしと滲み技法には気韻生動・幽玄霊妙の世界へと誘われ、いつの間にか、吾を忘れます。
それに比べると、ベタ塗りの細い筆ペンとコピー用紙では、ぼかしや滲みを描くのは無理、物理的に不可能だと漸く気づいたのが一ヶ月後でした。
そんな作品でも、或る出版社の社長夫婦が、新鋭の水墨画家・小林東雲先生の個展に赴かれた折、私の作品を数点紹介されたのです。
すると先生は、「意外でした。こんなにやさしい画を描く人物に、あのような罪を犯させるに至ったことを考えると、憤りさえ感じます。」と絶句され、「このような繊細な感性を持っているが故に、言われることをそのまま信じて犯行に及んでしまったのでしょう」と、とても残念だとつぶやかれ、「何もアドバイスするものはありません。とても素晴らしいので、このまま描いて行かれた方が良いです。」との太鼓判と共に、早々と篆刻印(てんこくいん)を彫ってくださり、新刊の書籍にサインと地蔵菩薩を描かれ、『自灯明・法灯明』のお言葉も添えて戴き、「あの事件がなければ、この方は素晴らしい社会貢献をする方でしたね。」となんども残念がっていたという話しを後日談として聴かされたとき、おもわず、私にはもったいないお言葉と恐縮し乍らも、いつの間にか涙が頬を伝い、返す言葉が見つかりませんでした。
※1・・・宮前さんが獄中で入信していた禅寺、玉龍寺の宮前心山老師のこと
※2・・・宮前さんが収監されていた東京拘置所